こんばんわー!

ゆき桃です!



本日は

カメラマンしてきました 笑


高校では

写真部で


インスタも

初期から投稿しているワタシ




でも


人物はあまり上手くないと評判のワタシ 笑




な の に




元上司で

最近起業された方の


サイトの写真を

撮る事になりました 笑




打診があって

迷って

やってみるかと決断するまで


苦手意識があった人物写真ですが



なんか意外と

楽しかったしいけました!笑



そのうち



これが


本業になってたりしてね…キメてる




まぁ



この話はこれぐらいにしておいて…





ここ最近のワタシは



あまり頑張っちゃだめだよ

って



事あるごとに言ってました






周りに頑張りすぎて

大変になってる人が多かったからです





ーーというよりも



それは多分

ワタシがそうだったから




周りもそう見えただけなのかも




というのが


今日の気づき









何に時間を使うかって



何に命を使うか




です




いや、


何を大袈裟な




って




通常の会話では

ビックリする規模感の話ですが 笑






よく

考えてみれば


そうなんです




普段気にしてないだけで




どう死ぬかは

どう生きるかと同じ




って言葉と似ています






要はね



余計なお節介だったのかもなー



って気づきでした真顔





健康的でなければならない




という

ブロックがあったなぁ



という気づきでもありました







わたしね


漢方カウンセラーも

心理カウンセラーも


実はその恐怖が

出発点で



去年の

半分を会社休んで過ごしたのも



コロナ禍とか

ストレスから眠れないとかの

恐怖でしたし



ずっと


病気になる程

頑張りすぎるって


ダメな生き方だと思ってました





でもね

なんとなく違和感が

残ってたんです



優しさで伝えたから

相手もそれは受け取ってくれてたと思うけど




人が

命を使うほど頑張りたい事は

その人が決めてやる事だし



周りから見て

不幸に見えても




その人にとって

身を削ってでも

頑張りたい仕事って


確実に存在していて




ワタシの優しさは


それに水を差していた

かもしれないのです





やりたくない事を


食いしばってやる姿を

評価されやすいのがサラリーマンの評価制度


なので




どうしても


その評価制度に振り回されちゃ

ダメだよって


気持ちで言いたくなっていましたが




そうじゃない場合もあるよね





っていうか

たぶん


行動に現れてることって

その人が心の底で

心の底からやりたい事を



やってることなんですよね



たとえ

偏った認知が

そう思わせていたとしても



本人が気づくまでは

ちゃんとその立ち位置と精神で

やりたいって事をやってるの








だからこそ


自分で

この先の道をどれにするのか

決めないとならないです




その道に進む為に障害になる認知なら


壊してみる事も

自分で見つけなきゃです





頑張りたいから

頑張ってる



だからこそ

私の推し様も

みなさんの好きなどなたかも


尊いんだと思う






Noel BauzaによるPixabayからの画像