全3回あり、各種ワークを実践していきますが
中でも『3rd』の内容が
今、一番好きかも〜と感じております
『行動』を促してくれる
ハッピーチャイルドさんの大切さや
あらゆるものをニュートラルに統合する意義を
お話していく時、自然と熱が入り
体の奥がワーッとなったりします
頭で理解していることを
言葉にして人に伝えようとする時
「ああ、自分はこういう部分が好きで
大事にしたいって思っているんだな〜」
みたいなものが、改めて分かってきたりして
教えることは教わることだと
何度でも、しみじみと実感する次第です
『癒し』から始まるこの講座は
3rdでは『統合』へ焦点を当てていきまして
ジャッジメントを手放した状態
ニュートラルな状態の自由さ・リラックス感が
なんだか嬉しくて好きなのですけども
この辺りに関して、色んな方面から
メッセージ的なものをキャッチすることがあったので
今回は、そんなお話をちょっと書いてみます
ゆるゆるリラックスでご覧くださいませ〜
いわゆる『ブロック』というワードが
チラチラしてくると共に
浮かんできたメッセージ的なものでして
『ブロック』というのは
何かを受け取ることへのブロックだったり
行動することへのブロックだったり
「〇〇ができない」原因
的なイメージであるかと思います。
それ故、そのブロックを解消する
癒してあげることで、変容が起こるのですね
こんな感じで聞くと
『ブロック』は外している方が良い
という印象を受けますし
無い方が良いっちゃ良いのでしょうが
こう、とってもニュートラルな心地から
眺めておりますと、突如
『(ブロックは)外したいと思えば
外したい時に、外せば良い』
とのメッセージなのか奥深くからの意見が
ぶわっと浮かんできたというお話です
当たり前のことを、何をいちいち
意味ありげに言っているんだとも思ったのですが
多分、こっちが先だったんじゃないかな
といった感じで、続いて強めに浮かんできたのが
『“ブロックがあること”と
“自分を否定すること”は違う』
でした。
今書いている感じとしても、恐らく
後者のメッセージが、こう、私の高次意識的に
挙手して訴えたいことであるのかと思います(=゚Д゚)ノ
「自分にはブロックがあるんだ…!」
と思うこと。ましてや他人から
「あなたにはブロックがあります!」
と言われること
そんな状況はなんだか、萎縮してしまうというか
自分を否定している/されているようにも
感じられるかと思います
でも、それって変だな〜おかしいな〜( ˘•ω•˘ )
なのですよね
北風と太陽のお話のように
“萎縮”は“解放”の真逆な訳で
自分を責めること/否定することは
ブロックを寧ろ強固にしているだけなのかと思います
超庶民的に捉えれば
食べ物の好き嫌いとかも“ブロック”だし
人前で話すことへの緊張も“ブロック”だし
身支度前の寝惚けた半目&寝癖トルネード頭で
人に会いたくないのも“ブロック”なのでしょうが
それと『素敵な人』であるかどうかは
また別のお話という気がする訳で・・・
食べ物の好き嫌いが多少あろうと
いつも笑顔で挨拶をしてくれる人は
「素敵!」って思う訳で・・・
人前で話すことが苦手でも
細かな気遣いができたり、聞き上手だったり
「素敵!」な部分は他にも色々ある訳で・・・
そんな風に考えていくと
それは単なる個性の一つとも言えるので
他人がとやかく指示するものでもなく
「自分が外したいと思うなら外す」
で良い話じゃないの〜と
ゆるゆるな心地で感じたのでした
この間、友人と話していた時にも
話題に出たのですが
当時は恥ずかしかったり、萎縮して
全然できなかったことも、今なら余裕でできちゃうわ(゚∀゚)
みたいなことって誰しもあるかと思います
それはつまり
今の自分がとっても悩んでいるブロックも
数年後、数十年後の自分は
笑って易々できちゃっている(゚∀゚)
ということも十分あり得るってお話なのですよね
『モヤモヤの真っ只中にいると
実際以上の大きな悩みに感じられる』
というお話も、講座ではいたしますが
これも、そういったお話で
知らない内に平気になっている(゚∀゚)こともあるので
『もっと気楽にいきましょ〜』
が、今回キャッチしたメッセージの主旨かと思われます
かく言う私にも、ブロックは色々あるのでしょうが
『そういう自分も嫌いじゃない…ぜ』という
謎の強メンタルの境地へ至っておりますので
何かしたくなるまでは野に放っております←
そんな人も、胸を張って生きておりますのでね〜
良い悪いのジャッジメントを手放した
ニュートラルな視点から眺め
「どうしたいか?」を自分自身に問い
好きに対処していくと良いんじゃない〜
というお話でした