HSPとはHighly Sensitive Personの略で、生まれつき刺激に敏感で、

周りからの刺激を過度に受け取ってしまう人のことを指します。 

HSPの人は日頃からささいなことに疲れやすかったり、

人の感情に巻き込まれて苦しい思いをしたり、

頼まれごとに対して断れずに自分のことを責めやすいといった特徴があります。

 

 

きっとまだ知らない人も多いのではないかと思う、HSP。

私も4月まではその一人で、

聞いたことすらなかった。

 

 

 

ちなみに私もHSP診断なるものをしたら、

 

--- 診断結果 ---

スコア:105(-52~140)

HSP度:【強】

非常に強いHSPの可能性があります。

他の人に比べ困難な点が多くあると思いますがその反面、

他の人よりも優れた点が多くあります。

世界に必要な才能を備えているあなたは自分に自信を持った生き方をし、そして疲れた時は休息をとりましょう。

 

 

こうなった。

 

専門的な知識はないけれど、

思うことはあって、

話を聞きながら一人で悶々と考えていた。

 

 

 

デンマークでも、HSPの認知はまだまだムラがあり、

誤った理解の人も多いそうだ。

 

話の中で、

 

HSPであることは個性であって、“合う環境”があれば問題はなくなる

個性として認められると楽になる

 

ということが話さたのが、どうも引っかかって、

ここから、メモに残されているのはほとんど自分の思考だった。笑

 

 

そこからの雑メモ。

 

「人生が、“自分”という人間がどのような人間なのかを知る旅」

だとするならば。

 

発達障害やADHD、自閉症等、あらゆるものの、

“名前の意義”は。

 

HSP,HSCという診断のおりない“人の特性”を分析していくことは、

その人自身の特性、すなわち自己理解に繋がる。

 

“病気”ではないけれど、人の全ての“不調”には何らかの名前が付けられ、

分析される。

 

HSC,HSPとは比較的新しく出てきた名前で、

それは現代の社会変化により生まれた、人間の“新しい傾向”ならば、

これはいつか社会変化により、無くなる。

 

色々な人が居て、どれだけ枠を決めたり、名前を決めたりしようが、

どんな多様性に対しても、人の関わり方は本質的には変わらない。

 

問題なのは、その人、その物事自体ではなく、

問題を問題たらしめる社会やその環境!

 

殺人事件、犯罪、、、本質をたどれば、

そのことが問題として浮かび上がってきてしまう(起きてしまう)

社会やその環境。

 

問題は問題にするから問題になる。

 

不登校も、何でも。

 

 

と、見開きいっぱいにメモしてあった。

 

 

何が問題なのか、

という本質を見失わないようにしないと、

問題を作り続けることに軸足が移ってしまう。

 

問題にならないなら、それでいいはずなのに。

 

 

これは、私自身にももちろん言えること。