祖母が他界しました。91歳になる直前でした。祖父のときのように、祖母のこともちゃんと書いておこうと思います。

祖父が亡くなってからというもの、緩やかな老衰でした。在宅介護から施設へ、入退院を繰り返し、最期は十全病院へ。

まだ入退院を繰り返していた頃は、もう苦しいから、おじーちゃんのところへいきたい!生きててもしょーがない!と、愚痴を言えるくらい元気でしたが、元々心臓の持病があり、心臓への負担を減らすために水が飲めなくなってしまいました。水やお茶、ポカリのようなものをゲル状にして、ほんとに少し摂る程度。

会う度にどんどん元気がなくなっていく祖母を見ているのはとても辛かった。水が飲みたいってずっと言ってるんですけど、身体に負担がかかるからダメなんだよって言うと、子供みたいに泣きそうな顔をするんです。

祖母はとてもチャキチャキしてて、気が強く頑固でしたけど、身内には愛情深い人でした。私は弟がすぐ産まれたこともあり、小さい頃からおばーちゃん子でした。母方の祖母で就職するまで同居してまして、小学生くらいまでずっと祖母と寝てましたし、小さい頃は祖母のふくよかめな身体に自分の足を乗っけて寝るのがすごく幸せでした。

私の帰宅が遅いと、どんな時間になっても、玄関横の祖父母の部屋の窓際の椅子に座って、祖父と二人で帰りを待っていてくれました。関西に就職して一人暮らしすることになったとき、一番反対したのは祖母でした。母がとばっちりで怒られてましたw。私をそんな遠くで一人にさせるなんて、と。実家を離れるとき、目を真っ赤にして見送ってくれました。気丈だからわんわん泣いたりしないのです祖母は。

幾度も危篤状態になり、その度に乗り越えてきて不死鳥のような祖母でした。でも、正直回復する見込みはなく、足の浮腫みがひどくなり、足がつってとにかく激痛だったらしく、ひどく苦しかったりもしたようです。延命治療は母親たち姉妹の判断で断っていましたが、生きて欲しいと願う気持ちと、あまりの苦しそうな様子から、おじーちゃんのところへ行ってしまうほうがおばーちゃんにとっては楽なのか、ずっと葛藤がありました。

それほど痴呆もなく、声をかけるとちゃんと誰かわかってくれてましたが、いよいよ尿が出なくなって、あと3日ほど、というときに会いに行きました。呼吸がずっと苦しそうで。娘も孫もひ孫までわらわら集まって、その日は面会時間終了までなんとか持ってました。その日は祖母の娘全員が泊まりで付き添いましたけど、夜中、一瞬目をぱーっと開いて、にこーって笑ったそうです。母や叔母たちは一斉にわーって話しかけて、それから少しずつ呼吸が減っていってそのまま亡くなったそうです。最期は自分の子供全員に見守られて、一人九州から駆けつけた叔母もいたので、間に合ってみんなで看取れて良かったなーって。もう苦しくないよね。

祖父も祖母もいなくなってしまいました。まだ両親は健在ですけど、私にとっては祖父母も親のようなものです。その喪失感が。なんにも返せてないのに、勝手におじーちゃんに会えたかなとか、みんなを見守ってくれるかなとか、そんなのエゴばかりかな。とか。

私は遠くに就職してしまったし、帰ってきたと思ったら離婚してw、仕事も不安定だし、結局ひ孫も見せられないし、心配ばかりさせてたと思います。まぁ、相方と結婚したことでだいぶ取り戻したとは思うのですが…
今はただただ祖父母二人に感謝して、ちゃんと祖母を送り出してあげたいと思います。