キャンプだホイ その4 の続きです。
数年前に亡くなった、ボーイスカウトの指導者だったじいちゃん。
晩年は認知症かつ健脚だったので
びっくりするくらい遠くまで歩いて行っちゃって、保護されてました。
(実母も認知症・・・ああこの血統をわたしも確実に引き継いでおります T_T)
「年を取ってくるとね、どこかに帰りたいって思っちゃうのよ」
って葬儀で叔母が言ってたけど
じいちゃんはどこに帰りたかったんだろうか。
最期の心の寄る辺は故郷の宇部だったのか、
人生の大半を過ごした、洋裁店を構えた渋谷の自宅だったのか、
何度か連れて行ってもらった山だったのか。
大人の事情でお墓参りはできないけど、
背中に30cmくらい残った手術の痕を「戦争で切られたんだ・・・」とか
いたいけな孫にブラックなウソかまして喜んでたじいちゃんは
宇津井健似でそこそこモテたらしいしね(ワルい武勇伝も聞きましたよ)、
きっとお墓におとなしくしてはいないでしょう。
ねえ、じいちゃん?
キャンプは好き。今の自分を育ててくれた原点。
大人になってからの、安心安全を担保された訓練ごっこは楽しいもの。
その環境を戦争を通して命かけて作ってくれたじいちゃん世代には感謝しかない。
あの時代に起因する、獣害の農産物被害とか花粉症とか、いろいろな問題が表層化してきている。
じいちゃんたちが先の世代が困らないように、って植えた杉やヒノキが
間伐されないままで、下草が生えなくなって、山に保水力がなくなって、
雨が降っては土砂が流出して、野生動物が食べるものがなくなって・・・
同じ種類ばっかり植えちゃったのがいけなかったのかもしれないけど
戦火を生き延びたあの時代の判断、じいちゃんたちを責める気にはならない。
これは命の心配をしなくても生きられるわたしたちに託された、
時代の担う課題なんだと思うんだよ。
しばらくは今の生活をしながらできるセカンドベストとして、キャンプを楽しんでいくと思う。
でもじいちゃん、わたしはレジャーや訓練の、その先に行きたいの。
もっとコアな、ライフスタイルの一部として。
これから少しずつ、いろいろなことを卒業していくんだろうけど
必要なものを、いまのうちに備えておくことにするね。
ボーイスカウト、ガールスカウトのモットーだったね、そなえよつねに。
力を貸してくださいねー