脱ゆとり
教育に関する議論の中で良く耳にするのが・・・・・・、
ってゆうか最近、ミヤネ屋で大宅映子が言ってたんだけど・・・・・・、
「例えばサイン・コサインなんて大人になって使わないけど、思考力を育むために必要なんだ」という意見。
僕は、これじゃあ逆に、「だったら要らないわ」って子も多く出てくるんじゃないかと思う。
先日、高校授業料無償化法案が成立した。
僕は大賛成なのだが・・・・・・。
まず一番に大切なポイントは、教育は権利だという思想だと思う。
そして具体的には、全国民がその権利を享受するための社会のしくみが大切になってくる。
知識・学問を、特権階級だけではなく広く一般に開放・提供することは、民主主義の根幹であろう。
その学問には体系がある。
その体系を家に譬えれば、数学は、その体系の大きな柱の一つである。
サイン・コサインは、その柱の基礎である。
サイン・コサインを捨ててしまうと、柱が崩れるのである。
柱が崩れると家が崩れるのである。
社会のために教育はどうあるべきか?
まあ、それに対する回答もないことはないと思うけど、それよりも、教育自体が目的だという考え方が大切だと思う。
教育のために、また子供たちのために、社会は何が出来るか・・・・・・・。
知識・思考方法・知恵・思考力・教養・道徳・・・・・・・。
総合的に人格を育む場が学校なのだと思う。
「学び」というものの大切さや有難さを蔑にしない制度であれば、「脱ゆとり」でも「ゆとり」でも良いんだと思う。