人それぞれの価値観がある。

 

仕事は生活のために、会社は大きいところがいい、俺はフリーランスで自由にやる、

好きな人と一緒に過ごせたらいい。

 

それこそ十人十色の価値観が世の中にはあって、

完全に他人とわかりあえることなんてないのだと思う。

 

ただ、本当に自分の価値観の通りに生きていられる人っているのだろうか。

 

価値観っていうのは、そもそもなんなんだろう。

 

価値観

- そのものにどういう価値を認めるかについての、それぞれの人の考え方

 (新明解国語辞典)

 

じゃあ、価値って。

 

価値

- 人間の生活において、それを好ましい(有用な)ものとして受け入れ、

 精神的・物質的に充足を感じさせる程度

 (新明解国語辞典) 

 

 

解釈としては、自らの「ものさし」を持って、どの「ものさし」に重きを置いていくか、

取捨選択していくことなのだと思う。

 

じゃあ実際に、自分の根っこから湧く「ものさし」を胸に、

ありのままに生きている人ってどのくらいいるんだろう。

 

きっと

家族だったり、世間体だったり、生い立ちだったり、環境だったり、

いわゆる外的な要因も含めての「ものさし」を用意している人が多いんだろうな。

人が集まって社会となるなら、外向けのものさしがないと生きづらくなる。

 

でもそれってなんのため?

 

自分がいい「ものさし」を持っていることの自慢なのか、

自分の「ものさし」はみんなと一緒だから仲良くしようよ!!なのか。

 

どんな「ものさし」かは分からないけれど、そのものさしが、

自分のための「ものさし」ではないのだけは分かる。

本来「ものさし」は人に見せるものではない。

 

どんな人でも、「ものさし」は一つ。

一つしか持てない。

外向けの「ものさし」をずっと持っていたら、

それが自分の「ものさし」に様変わりしていく気がする。

 

だからこそ、僕は自分の「ものさし」を大切にしていこうと思う。

どれだけみずぼらしくて、どれほど汚れていたって、どろどろの感情でも、

できた「ものさし」が生きた証だと思うし、その「ものさし」を大切にしていくことが、

自分を大切にしていくことにつながる。

 

そしてその「ものさし」をちらっとだけ見せて、

『その「ものさし」いいね!!』ってなったらどれだけ救われるのだろう。

 

それが本当に大切にしたい人になっていくと思うから、

僕は僕の「ものさし」を大事にしていきたい。