UWC ISAK 生活日記

UWC ISAK 生活日記

UWC ISAK Japanの生徒による非公式ブログです。
「一度しかない人生。自分の個性を生かして思い切り生き、自らの立つ場所から世界を変える。(UWC ISAK Japan Webより)」

どうも、こんにちは!

揚げたしらすの深夜鈍行感想

 

2025/7/13-2025/7/19に神田の花巻(以下神田)と共に深夜特急(スマホを日本に置いていき、インターネットを使わず、人生について考える旅)をするため、ムンタワイのいるインドネシア/パダンに向かった。7日という短い間だったが、人生に残る思い出となった。旅でどんなことが起こったかを書くと、短い短編小説が一つ書けてしまうので今回は御暇。旅を終えて学んだことを書き記したいと思う。

 

自分らしさ

自分自身をそのまま見知らぬところに放りなげる感覚は恐ろしくもあり、自分の危機感の鈍感さを感じられるものでもあった。この旅で、自分が普段から無意識に自分らしくいられているということの再認識ができた。自分らしくいるというのはとても爽快である。堂々と胸を張って生きていくということがとても心地いい。人に会う時自分でいることで相手が笑顔になってくれたことが「自分は自分でいいんだ」と思わせてくれた。

 

旅が教えてくれたこと

「旅をする」ということは「人をもっと知る」ということに恐ろしく大きくつながる。神田と一緒に歩んだ旅路では、神田の未知数だった部分(性格・気質・考え方・価値観・感情傾向・人との関わり方等)が沸々と明かされていった。他人を知ると同時に、自分自身を知ることにもなった。面白いことに自分の強みと弱みは神田とうまく噛み合っていた。神田は0から1(最初の一歩)を作ることがとても得意で僕は1から100(好奇心)をサポートすることがとても好きだった。そして、昼間は僕が強く、夜間は神田が強い。というのは、僕は寝る前に寂しがりやが発動してしまって寝れないのに対して、神田は5分足らずで爆睡。昼間は僕が色々なものに飛び込むのに対して、神田はビビりと昼寝を発動。神田の花巻とはいい旅のパートナーになりそうである。旅が教えてくれた強く生きるためのコツは、旅をするときの「強くいる」という心構えである。慎重さと強く硬い心を据えている感じ。これを持つことで自分の(弱いことを考える)脳内ゴキブリを相対的に小さくすることができると思う。

 

ここ、入ってみよう

この旅のコンセプトである「行き当たりばったり」はインターネットで事前に調べることがないので、ふと目に止まった店に入る。飲食店や八百屋、肉屋などだ。香港のlocal foods街で一軒の飲食店に入った時、テーブルが空いておらず、ここの住民らしきおばちゃんとおじちゃんと相席をすることになった。何を注文しようかと困っていた時、そのおばちゃんが自分の食べていたものがおすすめだよと勝手に選び注文した。少し大丈夫かと心配にはなったが、食べてみたら今までに食べたことがないくらい美味しいnoodleであると確信した。今までに入ったことのない店で今までに食べたことない料理、会った事のない人々に出会うこの新鮮さと好奇心の啜られる感じがとても楽しい。地元日本にいた時、評価をみてから店に行く。これをずっと繰り返してきた。想定していた美味しいものを食べて、想定していたサービスを受け、想定していた満足感をもって店を出る。よくチェーン店に入ってたから人と会話をすることもままならなかった。評価のいい店に行くことがいい満足感を得ることに直結するというmind setに囚われていたのだと思う。だが、旅を経て、行ったことのないお店に足を運んでみたくなった。評価もメニューも見ず、ただ好奇心に従って新しい味と人に出会うために。

 

こういう「行き当たりばったり」の旅で重要なのは、あらかじめその出来事や飯に「期待」をかけることではなく、「どんなものが出てくるのだろう!」と文化の違いを楽しみにしたり、why? what? how?などのquestionを浮かべながら考えを深めたりする姿勢なのではないでしょうか?

 

幸せの水準

七日間とても幸せな時間を過ごすことができた。大好きでlook upする先輩二人と過ごしたかけがえのない日々。とにかくうまい料理の数々を腹一杯まで食べる団欒の一刻、井上陽水を聴きながら眺めるパダンの夕日、焚き火の前で夜のビーチと星空を見上げながらするdeep talk。どれも幸せな空間だった。幸せを味わうことは大事だと思う。今を生きろとかそういう話ではなくて、自分が幸せだと思う水準が上がることによって、普段からその幸せを味わおうと楽しい生活に目がいくようになる。

 

夢の進展

僕の夢は発展途上国の子どもたちに科学の面白さ/疑問を持つことで広がる世界を伝えることだ。そこで実際、パダンの貧富の差や現地を目の当たりにしたり、パダン駅から車で3時間の山奥の私立高校を訪れたりして、ただ科学を教えるのではなく、現地の人たちの生活に役立つ科学を教えることの重要性とECP(Early Customer Profile)とICP(Ideal Customer Profile)の解像度の重要性に改めて気付かされた。山奥の私立高校の校長の家にホームステイをして校長と仲良くなったことも一つのprogressである。

 

Kapo Kapo Island

ムンタワイに連れていってもらったKAPO KAPO ISLANDでは衝撃的なものを見た。島にはバレーコートがあった。もちろん島の芝生のところだが、綺麗なMonbelのネットとしっかりした支柱が騒然と君臨していてそこには15歳くらいの少年から49の筋肉質なちっちゃいおっちゃんまで島民が楽しく裸足でバレーをしていた。衝撃的だったのがその洗練された一つ一つの動きである。中学校部活で3年間バレーをやってきたからこそ分かるキレッキレのサーブ、レシーブAカット、ノンルックセット、床に打ちつけるスパイク。「きっとこの人たちは子供の頃からずっとバレーを楽しんできたのだろう」と思った。そして技術は勝つためのものではなくスポーツとして楽しむためのもののように感じられた。日本の部活生の上達の理由に「勝つために上手くなる」というのがある。無論competitiveにスポーツをやる上では当たり前と言っていいほど大事な感情であり、上達の理由でもある。でもここの人たちは「よりスポーツとして楽しむために」という感情の方が強いように感じられた。実際に話を聞いたわけでも事実を知っているわけでもないが、彼らの心から楽しむ様子を見てそう感じざるを得なかった。何より、ミスった時に「ごめん」と言う人は一人もいなかった。僕ははじめ、バレーに参加するのをためらった。競争心むき出しの、ミスは良くないもの、勝たなければ楽しくない、そんなバレーは嫌いだったから。でもしばらくプレーしているとだんだん心から楽しめるようになっていった。ミスをしたら、「あらま〜」「笑笑」などの意味を持つ「おんでーまんでー」といってみんなで笑う。嘲笑ではなく、ほほえみである。昼頃から夕方にかけてプレーしていたら、仕事終わりの青年や成年がバレーに加わり、3vs3から6vs6になった。コート横を見たら〜12歳くらいの子供達が観客&応援をしている。

 

チームプレイでも他人と自分を比べないで、マイペースに成長してもいいのだと気づきを得られた。

 

まとめ

などなど、色々なエピソードを交えて学びを書き綴らせていただいた。深夜特急をyoutubeでみる時は主人公の(経験や価値観を通して)見てる景色しか見れないけど、実際に自分で足を運んでいると自分にしか見れない角度や視点で目の前の出来事を眺められるからとても面白いし、自分の成長にも直結する発見がある。一見同じ景色でも見る人によって全然景色が違うということを腹落ちさせることができたとてもいい旅であった。次は早くて2025/12月、遅くても2026/7月にまたパダンに行く予定だ。

 

ご高覧ありがとうございます。

さて、次はどんな発見があるのだろうか。

 

By 揚げたしらす