焼きそばとそばめしをめぐる哲学的考察

上の写真の通り、今日のわが家の昼ごはんは焼きそばであった。
(この焼きそば自体には種も仕掛けもありません)
朝、うちの女房が、
「今日のお昼、焼きそばとそばめしとどっちがいい?」
と聞いてきた。
そんなもの、聞かなくても私の答えは決まっている。
当然、「焼きそば」である。
そもそも「そばめし」というのは、その由来(ご存じ?)から言っても、
焼きそばが作りたいけど(その場で必要とされる量は)作れない時の
「間に合わせ(代用品)」として生み出された料理であって、けっして
焼きそばのようなauthenticな(本物の・真正な)料理ではない。
そばめしは好きではあるものの、何事にもauthenticityを重視する私
としては、「焼きそばを作ることができるにもかかわらず、そばめしを
作る」ということは選択肢としてありえないのである。
(ちなみに、うちの女房はそばめしが大好きである。私が出張でいない
時などは、そばめしを大量に作って、それを3回に分けて一人で食べて
いるぐらいである!)
私たち夫婦は二人ともほとんど好き嫌いがないし、いつもほとんど同じもの
を食べている(アメリカに来てからは特に)ので、大体その時に「食べたい
もの」というのはほぼ一致する傾向がある。
「焼きそばかそばめしか?」というのは、そうした一致・共感(?)の中での
微妙な嗜好の差によるもので、こういう違いというのは、人間というものの
個性を考える上で実に重要なものだ、というのが今日のテーマである。
(けっして、焼きそばの話ではないのです)
学者や研究者と呼ばれる人たちの中には、こういう「焼きそばかそばめしか」
という大問題に対するセンスの欠けた人もまま見受けられるのであるが、
とりわけ人文系、あるいは哲学・思想系の研究者にとって、こういう事柄こそ
実は本質的なものなのである。
たとえば、
私自身も大いに関心をもっている、あるテーマについて書かれた論文を
自分が読んだとする。
なかなか優れた論文であり、共感できるところも多い。
が、しかし、
どこかで引っかかる、というか 腑に落ちない ところがある・・・
それは何なのだろう? ・・・・と考える。
ふと、「?」マークをつけたある文章が目に入る。
あ、そうか! この人(著者)って、「そばめし」が好きなんだ!!
とわかる。
(もちろん「そばめし」というのはたとえで、実際には思考のパターン
とか文体とか、引証の仕方とかいったその論文において表れている
ような著者の個性に関する部分である)
こういうところが、私の思索の出発点になる。
つまり、
私は断然、「そばめし」より「焼きそば」である!
したがって、この(同じ)テーマに対して、私が自分なりのアプローチを
するとどうなるのか、と想像してみる。
この著者が「そばめし」的に考えていることを
「焼きそば」的に考えるとどのようになるか、ということだ。
(少なくとも私の場合、)こうした考えを煮詰めて行くことによって、
自分の新しい論文の核になるものが出来上がることが多い。
なぜかと言うと、
「そばめし」的に考えられている事柄を「焼きそば」的に考え直してみよう
とすれば、そこでは、
・なぜわざわざそれを「焼きそば」的に考え直すことに意味があるのか?
・その問題を「そばめし」的に考えることで、何が考察から抜け落ちてしまうのか、
(あるいは)どういう落とし穴があるのか?
ということを考えざるを得なくなるからである。
これは、とりもなおさず、私がこれからわざわざ新しい論文を書く意義というか、
その存在価値を自ら発見していくということに他ならない。
もう一つ大切なことがある。
ある論文を読んで、「何か腑に落ちない」と感覚的に分かる、ことはたしかに
すごく重要なことだ。
ただ、この点では、実は専門的な研究者より、素人の方が感覚的にすぐれている
ことがままある。
(なので、私は自分の講義や講演の後で、学生や素人の聴衆が口にしたり、
レポートに書いてくる「あまり論理的にははっきり表されていない」違和感や
批判を非常に大切にしている)
しかし、こうした「何か腑に落ちない」という感覚的な部分を、時間をかけて深く
考え抜くことによって、それをどれだけ理論的な言葉に直せるか、という所で
専門家としての力量が問われる、というのもまたたしかなことだ。
(これはそう一朝一夕に身につく力ではない。なので研究者を目指す若い諸君
は日々精進を重ねてもらいたい)
もっとも、哲学・思想系の研究者になろうとする人にとって何よりも必要なのは、
こういう「焼きそば」と「そばめし」の違いにとことんこだわることのできるような
「ひまさ」 と 「物好きさ」 なのであるが・・・(^^;)
(付記)
「間に合わせ(代用品)」として生み出されたものが、その後 authenticityを獲得
するということがないわけではない。(たしか中学校の英語の教科書に載っていた
話だと思うが)sandwich君の発明した「サンドイッチ」がその典型である。
「そばめし」は果たして今後どういった道を歩むのであろうか?