「先生」という便利な呼称
仕事柄、「先生」と呼ばれることが多い。
学生や同僚などはともかくとして、別に私の仕事と関係のない人(特に年上の人)から
「先生」などと呼ばれると、何だかこそばゆいような気持ちになることがある。
そういう場合、自分から「私はあなたの先生ではないので、「さん」づけで呼んでください」
と言うこともないわけではないが、親しくなると向こうが自然に「さん」づけに変えてくれる
こともあるので、大抵はそのままにしている。
しかし、よく考えてみると
日本は 「先生」だらけ の国である。
学校の先生のみならず、塾であれ、カルチャーセンターであれ、自動車教習所であれ、
人になにかを教えている人はみな「先生」だし、医師、弁護士、政治家、作家、宗教家
などの社会的権威をもった職業についている人々も「先生」。
さらに職人(料理人・工芸家・美容師など)の場合でも、一人前になり指導的な役割を
果たしている人々であれば「先生」と呼ばれることが多い。
一応、言葉の表面上ではこちらに「敬意」を示している語なので、「先生」と呼ばれて
いい気分になるかどうかはともかく、(多少きまりの悪い思いをする場合はあれ)
少なくとも嫌悪感を感じたり、相手を悪く思ったりすることはないのではないだろうか。
そういう意味で、「先生」というのは実に便利な言葉なのだ!
かつて、日本に留学した経験のあるアメリカ人の友人が、次のように話してくれた
ことがある。
「英語にも、日本語の「先生」とか中国語の「老師」に当たるような言葉があったら
どんなにいいかなあ、と時々思うんだけどねえ・・・・。私には「教授(professor)」
や「博士(doctor)」に比べて、「センセイ」という言葉はずっと暖かくて、個人的な
親しみをこめた言葉のように感じる」
と。
この友人の言葉を私が実感したのは、アメリカに来てからである。
日本だと、「先生」と呼ばれる人が多いせいかもしれないが、相手を「先生」と呼んでも、
そう「堅苦しい」感じはしない。
また、「先生」と呼んでもおかしくない人を「先生」と呼ばずにもう少しくだけたつき合い
をしようと思ったら、「○○さん」と名字で呼べば済むことである。
友人同士だと相手を名前(ファーストネーム)で呼んだり、姓名の一部を使った愛称
(「吉村」→「ヨッシー」、「哲男」→「てっちゃん」など)で呼んだりすることも
(特に同級生とか学生時代からの友人の場合は)多いとは言え、
「○○さん」「○○くん」と名字で呼ぶ場合も少なくはない。
つまり、日本語の場合、
相手の呼び方における「フォーマル→カジュアル」の間に何通りもの段階があって、
その間に大きな断絶がないのだ。
ところが、英語の場合、これがけっこうたいへんである。
上に書いた友人の言う通り、大学の先生などに対して「professor」や「doctor」
をつけるのは一般的だが、ある程度親しくなってからもそのままでいると、
かえって「よそよそしい」感じになってしまう。
「ミスター」や「ミズ」も、日本の「さん」づけよりは、ずいぶんフォーマルな感じ
がする(少なくとも友人にはまず使わない)。
とすると、「professor」や「doctor」というのをやめて、より親しい呼称を使おう
とすると、いきなり「デイヴィッド」とか「ナンシー」とかいうファーストネームや
「ビル(←ウィリアム)」「ジム(←ジェイムズ)」などその省略形で呼ぶ、
しかなくなってしまうのだ。
つまり、英語では、相手との距離感の微妙な差のそれぞれにちょうどふさわしい
呼び方、というのがないのである。
日本人の感覚からすると(少なくとも私の感覚からすると)、自分より年上の、
それも自分の上司や社会的地位の高い人に対して、ファーストネームで呼びかける
というのには相当抵抗がある。。。
相手から失礼に思われないだろうか・・・ということが一番気になるわけだが、
そこがものすごく気になるということ自体がそもそも「日本的」なのでしょうね。