「3人で、スプリッツァー」
という映画があった。

思春期ど真ん中、19歳の自分に、とても鮮烈な印象をあたえた。

前向きに努力して、事態が好転することもあり、
自分を見失って流されて、事態が暗転することもあり、
前向きに努力しても、事態が暗転するばかりなこともあり、
自分を見失って流されても、事態が好転することもある。

全てにおいて因果がめぐっておらず、
かといって混沌とする状況下に一本筋を通す自分の意思
が統合されてるわけではなく、またする気もない。

ハッピーなのかアンハッピーなのか、
とても解釈に苦しむ観客は
いわゆる「突き放された」ではなく放り投げられた感がある。
「冷たい、ネガティブ、暗い」と受け取れるのであればそれに
対応する自分のスタンスもあるだろうが、
なにしろ「どっちつかず」なのである。

このTV深夜映画の解説では興味深いことをいっていた。
「この映画の原題はユーゴスラビア語で「どっちつかず」。
ユーゴスラビア自体が、東陣営なのか西陣営なのかどっち
つかずの歴史と文化に彩られています。結論がどちらという
わけでもなく、永遠にどっちつかずを繰り返していく人々
が描かれています。」とのこと。

ユーゴでは顕著だが、当時の自分、そして20年近くたつ現在の
自分にいたるまで、様々な場面で
どっちつかずだなぁ、はっきりしねぇなぁ、という場面は
多かった。

以上とてつもなく長い前触れを経て、本題にはいる。

…つかれた、次回につづきます!