濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

 

先週の選挙で自民党が圧勝、衆議院議員の自民党比率が高くなりすぎた。憲法改正の方向に向かいそうでさあ。最近特に世界平和についてよく考えちゃう。

 

憲法で世界宣言してる「戦争はしません、(自衛隊はあるけど)軍隊はありません」。その平和主義のおかげで戦争になる確率が上がるのか下がるのか、とかタラタラ書く。異論は認める。

 

戦争は、どちらかが先に攻撃して「向こうが攻撃してきたので、こっちも攻撃します」って考え方があるので、2国のうちの1国が絶対に攻撃しないなら、先制攻撃、つまり戦争の発動条件が1/2になる。なので片方が「攻撃しません」と宣言をしていれば戦争になってしまう確率は下げれる。また、平和主義の日本に攻撃した国がでてこようものなら、他の国がだまっちゃいない。なので戦争を避けられる、ってのが憲法を守るメリット。ドラえもんに出てくる出木杉(デキスギ)くんみたいな清き正しき少年をジャイアンが攻撃している場面を見たことがない。

 

逆に、憲法を改正して「自衛隊は軍隊です、私たち強いですよ。変な挙動したらこっちから攻撃もします」と宣言することでナメられなくなる。ジャイアンは強いから誰からも攻撃されない。

 

なので、憲法を守って出木杉くんで居続けるか、憲法改正してジャイアンになるか、どちらが他国と戦わないで済むのか。

 

こんなの誰もわからんって。出木杉でもジャイアンでもどちらにしても戦争になるかもしれない。どちらにしても戦争にならないかもしれない。だから、どっちが絶対正しいってのはない。

 

個人的には出木杉であってほしい。「左翼思想はお花畑で現実味がない」って言われる。そうなんだよ。お花畑な自分がいる。人とあったときは、その人を知りもしないのに良い人認定してる。もちろん、関わる上で違和感とか嫌な行動してきたら例外として悪人認定するけど、ベースはみんな良い人。ブラックな職場とかで罵声を上げている人も、生まれたての赤ちゃんベイベーの頃は親にミルク与えられたりオムツを取り替えられたり、愛なしで大きくなれない。人間って精子と卵子という物理的なこととは別にも、その育てられて成長するプロセスが、もう愛、愛でできてる。なので、もう脳内お花畑のノーガード戦法をとりたくなっちゃうんだよね。

 

まあ、でも、みんな不安なんだ。防衛にも税金つかいますってのも最近は納得してきた。ただ、オラオラ系の自民党に憲法を書き換えられると近隣を刺激しそうなんで、もっと改正するなら世代交代して賢くなってから練り直してほしい。

 

日本が80年間も戦争に関わらなかったのは憲法のおかげなのかもしれない。左でリベラルな両親に育てられたせいか考え方が偏ってるんだろうけどみんな仲良しこよしにならんかなあ。

政治にどこまで詳しくなればいいかを考えたい

 

⚫︎政治への興味関心について

選挙が近くなると政治の話題がニュースに上がる。興味がある人にとっては好きなだけ情報を漁って楽しめばいいんだろうけど、興味がない人にとってはどれも一緒だろう。自分が政治に一つも関心を持たなかった時には自民党もアメリカの共和党も全く区別がつかなかったわけだし。

 

で、知識ゼロから、こういう世界だったらいいのになって考えて政治に関心を持ちながら年齢が重ねてきて知識が少しずつ重なったところで、一旦整理しようとおもってる、いったいどこまで政治の知識をつけるべきなのか。

 

⚫︎政治の知識がないことで起こるマイナス

まず政治の知識ゼロは少し損をする。社会で働く大人が「選挙に行かない」「よくわからんし、みんなと同じ自民党に投票」あたりの発言をするとダメな大人のラベルを貼りつける人がいるからだ。特に特定の政党を強烈に応援している人がバカにされる恐れがある。損か損でないか、といったら見下されるのは損、マイナスなんだよね。

 

マイナスは嫌だから、まあせめて見下されないくらい、プラスマイナスゼロにしておけ、というのが今回の言いたいこと、というか政治に関心がない人がいたら、このまま今日かんがえたことをそっくりそのまま伝えようと思っている。

 

これくらい知っとけば、いんでないか。

・伝統と秩序と国防の右、平等と少数派の人権の左

・右寄りの自民党が最大派閥で長期で政治運営中

・対抗馬は、左寄りの中道改革連合

 

現状維持か、そうでないかだけで投票行ってもいいと思うんだよね。社会は投票行かない人には厳しいから。そんで投票いけば、会社とかで大っぴらに「投票いきましたよ」って雑談して社会構成員の仲間入りだ。これでマイナスはない。

 

⚫︎政治に詳しいことで起こるプラス

んで、さらにプラマイゼロだけじゃつまらないって人は、政治に詳しくなって、その政治に精通することで以下のメリットを享受できる。

 

・誰かと熱い議論になる。

政治は譲れない熱い議論になりやすい。刺激あるディベートを体感したいなら政治のトピックがダントツ。時には人間関係ぶっ壊れることもあるかもしれないけど、それこそがパッション。

 

・苦しい時に社会のせいにできる

生活の中で苦しい出来事が起こった時、慢性的に悩みがあるときに自分のせいでなく、誰かのせいにして傷つけるわけでもなく、「政治が悪いんだ」って言えばいい。政治に詳しいほど苦しい時に政治のせいにする時にたくさんの政治トピック無理矢理感がなく上手にこじつけれる。仕事でうまくいかないことがあったら、上司のせいでも部下のせいでも、その仕事を選んでやり続けている自分のせいでもなく、「政治のせいで仕事の流動化が」、とか言ってればいい。外から見れば自責思考のない人って子供に見えるけど、本人も周囲も誰も傷つかないから、うまいこと政治を使ってストレス発散自己完結してほしいわけだ。

 

・選挙というエンタメ

自分の応援してる政党が勝つかなあ、っていうエンタメになる。余暇にやることがないなら政治活動のボランティアは喜ばれるし一体感みたいなのある(と思う)。

 

⚫︎ネット投票まだですか

とは言え結局は本人の自由で、「政治に必ず参加しろ」みたいな圧力かけあう社会はなんだか村社会みたいで好きでないなあ。投票って時間かかるんだよね。雪の降った寒い日、厚着して投票所にでかけて、中で長い列にいって。さっさとネット投票できるようにしてほしい。ネット投票いつかやってくれるのだろうかわからんけどまたチームみらいに投票した。党首の安野たかひろ好きなんだよね。まさか自分が政治家のYoutubeチャンネルをよく観るようになるとは思わなかった。

 

⚫︎最近の選挙との付き合い方

どの政党になっても選挙前の公約の実現をしてくれなそうだから、もう公約なんて無視して「この自分の好きな人を国会に送って、それでダメな政治ならあきらめる」くらいの雑なスタンスでいいかなって力抜けてる。本音いうと選挙についてどうこういう暇あったら、自分の仕事ちゃんとやりながら、健康に気を遣って、よい余暇を過ごす自分で自分の生活を良くする方が一番いいんだよね。なので、エンタメ程度に、今回は応援政党は勝つかな? って、そんなノリ。

 

 

 

 

 

 

 

白菜は鍋物に重宝されるけど、個人的には無くてもいい。どっちかというとキャベツの方がいいんではないか。白菜、キャベツ、ついでにレタスについても考えてみる。

 

白菜は鍋みたいな煮込みにしかあんまり使われてない。でも煮込み料理にしてもキャベツの方が好きになってきた。キャベツは白菜より甘い、歯ごたえも強い、主張が強い。対して白菜は味を染み込ませなきゃうまくならない、独り立ちできてなくてさあ、キャラクターとしてもキャベツの方が好きだ

 

キャベツ、白菜のほか、レタスも葉っぱを重ねてデカいボールになるんで自分の中では3点セット、一括りにしている。赤・青・黄色、セブン・ファミマ・ローソン、ラトビア・リトアニア・エストニア、腕立て・腹筋、スクワットみたいな3つで1つ。レタスも含めてあらためて3つの野菜への気持ちをつづる。5段階評価も勝手につけてみようか。

 

キャベツ 5

歯ごたえもあって、甘くて、生だとちょっと辛い。生でも煮ても焼いても良い。

 

白菜 2

鍋に入れると旨味が出ると言われてるけど、白菜なくてもいいからその代わりキノコいっぱいがいいな、ってつい思っちゃう。強烈に白菜を食べたいと思うことはないのに鍋の白菜は過大評価されているんじゃないか? キムチの白菜の緑の葉はすごい好き、でもあれが別の野菜、ほうれん草とかでも好きだと思う。

 

レタス 3

水々しくて爽やかで、かつ野菜くさい緑色な味があって、脂っこい肉と一緒だといい仕事をする。日を通すとシワシワに小さくなっちゃうから使い所が限定的。

 

ということで圧倒的にキャベツが強いんで、白菜の季節なのに毎回キャベツを買ってしまう。それはそれで四季折々、人生を味わいきれてないなって思ったんだ。そんで白菜を買おうとスーパー行ったらキャベツが半玉60円という激安で、しゃーないよね、結局キャベツになってしまった。

 

レタスなら、サムギョプサルやハンバーガーの時にキャベツだと食べにくいから出番があるけど白菜はどうだろう。

やっぱり漬物系だよなあ、白菜がキャベツに勝てるとしたら。漬物はあんまり食べないんだよなあ。

 

ところで、子供の時にさかのぼると、1袋20円の「キャベツ太郎」というカエルのパッケージのスナック菓子があった。100円もするポテトチップスは買えないけどキャベツ太郎なら買える。スナック菓子を自分で買うのはなんだか大人になったような気がしていた。「玉ねぎさん太郎」という類似商品もあったけど、キャベツ太郎の方がパッケージデザインがカッコよく思えた。親に「野菜を食べろ」とよく言われたけど、「キャベツ太郎を食べればいいじゃんか、なんで夕ご飯にキャベツ太郎をださないんだ」と本気で思っていた。アホだった。自信満々にこういう強い思い込みしちゃうんだよね。今日格付けしたキャベツが優で白菜が劣みたいなのを、何年か後に「白菜はキャベツよりも美味いじゃん、アホだったな、過去の自分」と思える日がいつか来ないかな、と自分の中の価値観のアップデートが起こるのを期待している。いつか白菜に感動してみたいな。

 

地元仙台にいた時はお年玉と時給600円くらいでバイトして貯めたなけなしのお金をかき集めてスノボー行ってたのに今は雪山に全然行きたくない。気温が低いじゃないか。楽しさが勝ってスノボとかスキーとか冬山登山とか、雪遊びしに行く大人を本当に尊敬する。もう街の温室にしかいれない、社会で買われたワンコは野山で生きていけないのと同じな牙のない人間なのです。

 

それどころか今日の最高気温7度で厳しい。なんで北国の人は北国に住み続けるんだろう。エアコンのない時代、北海道の人、大変でしょ。夏の間にちょっとずつ南下するのはやっぱり難しかったのかな。それとも南下した人が多いから東北は人口が少ないのかな。

 

去年は真冬に咳喘息にかかり大変だった。しかも2回も発症した。なので今年は苦手な季節、冬に身体を壊さないように工夫してる。

 

雪山登山用の化繊アウターを買った。去年の冬の終わりに買ったからセールで30%引き。普通は真冬用のアウターは1000kgくらいするのに、これ550g、携帯電話2個分しかない。ダウンは洗濯しずらいから、飲食店がタバコ、焼肉、油とかの匂いがつく店だと厳しいけど化学繊維は楽チンだ。毎日着ている。朝、布団から出た瞬間に着ている。

 

機能性重視で見た目はあまり好みでなかったけど、ここまで毎日寒さから守ってくれると愛着が湧いてくる、たぶん見合い結婚や昭和的愛社精神もきっとこんな感じで、対して好きでもなかったものがだんだん大切なものになっていく。

 

昔はもっとこういう気持ちがあった。初めて一人暮らしした時に買った冷蔵庫、8年くらい使ってた。ステッカーとかいっぱい貼って自分色に染め上げてた。海外に長期で住むから家のもの全部さあ処分しなきゃいけなくなった。その時、来る日も来る日も食品を冷やし続けてくれたデカブツがいなくなると思うと、もう、なんか寂しいわけよ。で、実際に処分した後の冷蔵庫のない部屋、物足りないわけよ。愛着あるものがなくなって寂しかったわけよ。

 

ちょっと時が流れて断捨離やミニマリストがブームになり、愛着よりも必要かどうか、みたいな価値観にかぶれてしまった。たまたま家がない生活をフラフラしてたら褒められるもんだから調子のっちゃったんだよね。「趣味も特技も断捨離です」って言ってさあ。今、何か自分の中で抜け落ちた「愛着」という素敵で人間っぽい価値観を再びインストールしようとしている。

 

もう一個、この冬を乗り越えるために新たなアイテムがあって、それは「ジャムウ」。植物の葉、皮、根、いろんなものを入れ込んだ葛根湯みたいなノリのインドネシアの伝統ハーブ。ちょっと疲れたなって時にお湯に溶かして飲んる。湯気を浴びるだけで目に染みる。でも良薬口に苦し、効いてる気がしまくってる。

 

雪山アウターとジャムウのおかげで、この冬のシーズン、頭痛も風邪も肩こりも何もない。体調が全然崩れないのが最高だ。

 

一点だけ、なんか毎日けっこう眠くて、コーヒーで覚醒させてるけど、カフェインとらないと、ずっとウトウトスリーピーなボンヤリライフになるから、中毒と認識しつつ、コーヒー摂取1日多くても4杯にとどめてる。人間もホントは冬眠ほどでないけど冬は10時間くらい眠る必要があるんじゃないだろうか。でも一人だけ10時間眠るのはなんかやだな。冬は基本的な労働時間を半分にして、店も電車も稼働を4時間減らして、みんなでたくさん眠る社会がいいな。

最近の敵は昨日と同じことをする自分だと気づいた。さらに言えば変化なんていらないほど納得する何かを見つけた時に本当の平和が訪れるのだと悟った。

 

ゲームがやめられなくて困っている。勇者とかマリオが大冒険するような夢のあるゲームじゃなくて、カラフルなブロックを動かして同じ色のドアの出口まで運ぶパズルゲーム。ずっとやっちゃう。出口にブロックを落とす音がきもちいんだよな。

 

なんの生産性もない時間が過ぎていくとわかっているから頑張ってスマホを閉じる。3分後に変な中毒性を感じて、モゾモゾしてきて、もう一度やりたくなる。これ考えた人は社会の悪だってことに気づいてくれ。アンインストールしたのに、携帯の広告にまた同じようなパズルゲーム出てきてインストールしちまった。ゲームをクリアしても次のちょっとだけブロックの配置が変わるだけで、おんなじなんだよ。

 

毎回、電車に乗る時に、ついついそのパズルゲームのアプリを起動させちゃうんだよね。もう癖というより呪いだよ。お出かけする時の行きの電車でパズル、帰りの電車でもパズル、寝る前もパズル、不毛なパズルを毎回同じタイミングでやり続けている。

 

なんとなく同じことを繰り返してしまう自分がいて、それがストレスを感じないで生きるためのコンフォートゾーンってやつなのか? いやいや、一度「その同じことをしようとする自分」を敵認定すると、同じことをしている時、つまりパズルゲームをしている時にストレスを感じて、全然コンフォータブルでないんだ。苦痛なのにやめられない、蚊に刺されたら痒みを我慢した方がいいのに掻きむしってしまうあの感じに近い。

 

そんでまたアンインストールした。またまた類似ゲームをインストールしないように歯を食いしばって生きていきますっ。

 

将棋の話になるけど、将棋では最強の駒、飛車を盤面9列中どの列に置くかで対局の方向性が決まってくる。端っこの1列と9列は非合理すぎるので、通常は2~8列の7択だ。でもいつも、4,5,6,8の4種類から初めてしまう。いつも、いつも出だしの位置は4/7。残りの3つの選択肢をハナから消してるんだ。もっと自分の幅を広げようとするなら、昨日の対局とは違う攻め筋を選んだ方がいいのに、いつもの手癖でこなしてしまう。ちゃんとやろうぜ、おい! って自分を鼓舞してるはずなのに、慣れない、負けやすい攻め方を躊躇してしまう貧弱な自分の精神がある。

 

と、結論に辿り着く。いつもと同じことをついついやってしまう自分が最近の敵だ。

 

なんというか、いつからか、敵っていう感じの人がいない。青年のときはダラシなかったから、ダラシない人が嫌いな人、それは先生だったり、バイトとかの細かい先輩だったりが、敵、というか一方的に向こうから嫌ってきた。細かいこと言われても「こんなんしゃーないっしょ」って考えてるのが滲みでてただろうから、まあ敵ってやつになる。

 

でも大人になって少しちゃんとできるようになって、あとは極端に管理されることもなくなったんで敵っていう他人がいない生活まで辿り着けた。でもパズルゲームをやりたがる自分が敵のようにみえていて、癖から抜けようとしない自分ってのは敵なんだと認識してみるようになってのイマなのです。

 

ブラジルのズークっていうダンスをやって2年くらい経ってきた。これは割と新しいパターンを覚えて実行している気がするけど、前に身につけた動作のパターンを覚えておくのが大変で、これもまたいつもの自分の中で完成度が高めのムーブへの逃げになる時があるんだよなあ。引っ張られるんだよね、慣れの動作に。ということでブラジリアンでない別のダンスもどんどん取り入れようと考えウェストコーストの世界にも行ってみた、なんか脳が喜んでる。やっぱり新しいことをするっていいなあ。ドーパミンがドボドボくる

 

食事に関しては、よく「日本人だけが毎日違う食事をしている」と言われてて、ホントそうだよ。それでも世界の平均寿命、先進国だとほとんど変わんないから、同じものばっかり食べててもそんなに健康に差が出ないんでないか。ていうか毎回同じでも全く気にならない。んでずっと同じの食べちゃうんだよね。

 

最近、ここ2週間くらい、毎日、鶏のレバーとハツを焼いて食べてる。美味すぎて毎日それ。もうこれでいい。臭くてモサっとしているレバーがあることで、匂いに癖がないプリプリでコリコリのハツが際立つ。かといってレバーがダメかというと、あの臭みがまた良いんだわ。モサクサレバーとプリコリハツ最高のコンビネーションだよ。先週からパクチーをかけだした。無敵トリオ。寿命が尽きるまでレバー&ハツfeaturingパクチーで良いかも。

 

結論

本当に自分で納得している時は、同じ行動をとっていても自分が敵ではないんだってことにも気がついた。変化をつけながら行動を刺激して、納得するところが見つける。そしたら、その時はいつもと同じことをする自分という敵がいなくなっている状態なんだ。そこから同じことをずっと繰り返ししても平和なんだ。敵のいない世界の作り方、完成。