濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

最近ニュースになっていた、東京の福生でのハンマー男事件が面白い。

早朝に自宅前で騒がしかった暴走族少年に、母親が静かにしてくれと言っても聞かないから、息子、マッチョ男がハンマーで暴走族少年を攻撃。警察がハンマー男の自宅を包囲。ハンマー男、包囲網を抜け逃走。後日逮捕。

 

うるさい暴走族の少年 、少年の親、日頃から取り締まらない警察、少年肩入れするメディア、そしてハンマー男の誰が悪いのか意見が割れる。というかそのニュース動画のコメントにはハンマー男を英雄と称える声が多かった。攻撃をした犯人側がみんなからヒーローと称賛される映画みたいな事件なんてなかなか出てこない。

 

ところで暴走族ってなんでうるさい音を出すんだろうね。耳悪くなんないのかな。エンジン音を小さくするためについてるマフラーをわざわざ改造して爆音出すとか、パラリラパラリラ♪の音を出すラッパとか。ホント意味わからん。

 

ググってみると、うるさくする理由は注目されたい自己顕示欲。なんか普通すぎるんでもうちょっとうるさいバイク乗りを深堀したい。暴走族の漫画を読んでみた。高橋ツトムの「爆音列島」、元暴走族の作者の実体験に基づいた1980年代の東京を舞台にしたリアル系の話。暴走族の人間関係のめんどくささとか、グレる息子への親の心境、ヤンキーいいぞ〜みたいな誰が喧嘩で最強かとかのカッコつけた話がない、なんとなくの暴走族の日常、任意出頭とか鑑別所のリアルを書いていて大人が観ても面白い。今の60歳くらいのヤンチャだった人たち、こんな青春なのね。

 

漫画の中では主人公タカシは族としてバイクで暴走を楽しんでいた。パラリラパラリラのラッパをバイクにくっつけて感動してた。前を走るバイクのテールランプが揺れるのを見るのが好きだった。全っ然、理解できない。なんて迷惑なやつだ。漫画アプリのコメント欄でも、読者みんなタカシを嫌がっていた。こんなに嫌われる主人公も珍しい。

 

バイクの爆音は自己顕示欲だけでなく、カッコイイと思う人がいるんだな。何をカッコイイと思うかは人ぞれぞれ違う。爆音をカッコイイと思う人がいてもおかしくない。自分も人のこと言えない、ヒッピーホームレスっぽいファッションをカッコイイと思ってしまう(職質されるからやらないけど)。人の数だけカッコイイの数がある。でも爆音バイクをカッコイイと思う人は自分がカッコイイと思うものを追求すると、世間の迷惑になってしまう、世間の悪者になってしまう。ハンマーで殴られてもネットで叩かれる側に回ってしまう。

 

自分がカッコイイと思うものが、たまたま世間にも応援してもらえるなら生きる上で摩擦が少なくて心地いい。仕事でガツガツ成果を上げることをカッコイイと思い、それを追求するなら、みんなから応援されるはずだ。

 

逆に爆音バイクをカッコイイと思ってしまう癖(へき)で生まれ育つと、大変だよな。人から嫌がられる行為をしたくてしたくてたまらなくなる、これは実は可哀想な人生なのかもな。

それでも、世間との摩擦があったとしても、コレが好き、っていう強烈な愛情を注げる何かに出会えるならそれは真実の愛であり、尊敬するべきなのかもしれない。摩擦があっても突き進むLikeやLove。ロミオとジュリエットとかもそうなんでしょ? 世間からダメだと言われてもジュリエットが好きなんでしょ? 読んだことないから詳しくないけど。

 

ロミジュリは読んだことはないのに爆音列島は履修した。前者の方を知っていた方が育ちが良さそうで世間受け良さそうだけど。古典作品ってエンタメが少なかった頃の競争の少ない中でのヒット。それと比べるとエンタメだらけの現代で競争を勝ち抜いて人気になっている作品の方が面白いんでないか。そんなわけで今後もロミオとジュリエットの真の愛について詳しく知ることはなさそうだ。

日本政府が氷河期世代を支援強化するらしい。でもお金バラマキでなくて就職支援らしい。それ、今の氷河期世代が欲しているのか。そもそも 氷河期世代だけがかわいそうなのか。世代別に苦労は違う、世代でくくって、この世代は支援すべき、ってほど圧倒的な負なのかっていうとそうじゃないだろ。

 

・90歳くらい。物心ついたころから太平洋戦争、青春時代は貧しい敗戦国民。ここが一番キツイ。

 

・70歳くらい、根性と長時間労働が美徳の世の中を歯を食いしばって生きる。


・40~50歳。氷河期。キツイ。

 

・それ以下の世代。超高齢化を支える。


ザックリ言えばどの世代も特有のキツさがある。もっと言えば、どの世代も特有の良さ、楽しさもあるんだろう。


ゲームで言えば、自分が子供の時はファミコンのクニオくんとか、スーファミのストリートファイター2とかがすんごい楽しくて時間を溶かしていた。今の時代に遊ぶには画像も操作性も自由度も低くてショボいゲーム認定されそうだけど熱中しちゃってたんだ。今の子供がずっと高度なマインクラフトとかスプラトゥーンに依存しているのと同じくらい脳がゲームに入り込んでたと思う。逆に、バブル世代が滅茶苦茶シンプルなスペースインベーダーゲームをしていたらしいけど、あのつまらなそうなゲームも当時の子供からしたら同じようにハマっていたんじゃないだろうか。


苦しみも喜びも「あの世代は良くて、この世代は悪い」とかは、ない。そもそも「あの世代はいいよな」って別の年齢の人を比較している状況ってあんまりなくない? 比較するのは同世代ばっかりでしょ。同年代と比べて自分は上とか下とか。比較するときは近い人と比較しなきゃ別の要素が入りこみ過ぎて比較しにくいし。小さい時に食べ物を残しても「貧しい国では食べていくこともできなくて」みたいなのは同年代でも全然響かない。遠いからね。氷河期世代は苦しかったぞ、政府のせいだぞ! バブル世代のせいだぞ! とか今まで怒りや悲しみをあんまり感じてなかったのに声を上げだすのに違和感を抱いちゃう。


それともう一つ悪魔の自分がいて、それを氷河期世代(自分がギリ氷河期に入れそうなんで)は苦しいんだぞ、と声を上げまくることで、政府がお金バラまいてくれるんでないか、とか期待してしまう。無限にお金が湧いて来ればいいんだけど、他の世代からカンパしてもらうことになるんだよね。でももし氷河期へのバラマキが起こったらラッキーラッキー、ってなる自信がある。すごくセルフィッシュな自分がいて、自分はホントに自分がかわいいんだなと感心しとる。


でも「氷河期世代は大変だから金よこしな」とか叫ぶと良い人生にならなそう。心の中のホントの声ではない、ちょっと得してやろうか、みたいなとこあるし。


あとさあ、人に優しくされるとその人に優しくしたくなるじゃん。自分が向けられたものを返したくなる。誰かや何かに攻撃的なエネルギーを発すると、その攻撃性が返ってくる。人は自分に向けられたエネルギーを自然と返す。


そんな感じで社会とか、損得とか、ちょいスピリチュアルことをとめどなく流れる川のように考えてしまう。全然まとまってない、思考がただ流れるだけの日もある、それも川、それも自然。

失敗しちゃった。鶏レバーを100g以上、ハンバーグ1個分くらい、3ヶ月くらい毎日ずっと食べていた。それダメらしい。動物からとるビタミンAは不要なほど多くても、ずっと身体に蓄積されて、限界を超えると、ビタミンA過剰摂取ってことで不調になる。たまたま偏った食生活してる途中で気づいた。推奨量の15倍を肝臓で貯蔵している。毎日ちょびっとずつ自然と排出されるのを待っている。動物性ビタミンAを避けながら。

 

レバーとハツ、合わせて500g捨てた。ビタミンA過剰摂取に気づく直前に買っていたから。久しぶりに食肉を捨てた。レバーってての感触がほんとに生物。人間が科学的になかなか作るのが難しいブニョっとした手触りで、それをゴミ箱にベチャっと落とした。どの食べ物を捨てるよりも心にくるものがある。お米の神様がどうたらで、一粒も残すなとかいうけど、自分にとっては米より肉を残す方がよろしくない。後付けされた信仰心というよりもハートの問題な気がする。

 

アニマルライツ系(動物かわいそう系)のベジタリアンの人達にたくさん会ってきた。動物を殺さなくても食べ物あるじゃん、と。その考えに納得し、共感し1年くらいやってみたけど、たまの実家に帰った時に両親が肉でご馳走を振る舞ってきたのでありがたくいただき、肉にギラつくエネルギーが身体と生き方にフィットした。

 

日本であれもこれもやろうとするとギラつくエネルギーがある方が便利で、それは同じタンパク質のはずの豆を食べても、その粗いエネルギーを採れた感覚にならない。

 

なるべく魚と鶏肉にしようとしてる。畜産物としての、痛いとか、怖いとかの感覚がない方がいいかなって。でも自分一人でもラーメン食べに行って豚骨ラーメンとチャーシュー、みたいなことしてる。

 

食肉を食べる自分と、畜産動物をかわいそうと思う自分が本当に同じ人間なのか。多重人格ってほどではないけど、180度違うことやってるんだよね。考え方としてのアニマルライツ尊重はあるけど自分の健康と欲望やソーシャル活動でストレスがないよう肉を食べる。

 

食肉を控えようと考えたり環境とか他者の痛みを考えて、自分の外側にも愛をふるまおうとする博愛な自分がいる。それとは別に、肉をガッツリ食べたり、自分の社会的な活動を最適化するための行動をする利己的な自分がいる。外のみんなに優くて器の大きな自分と、自分に甘く優しい人間っぽい自分がいて、ベースとなっている身体と脳を交代しながら使っている。その2人の自分は考え方が違うけど同じ目標「自分が幸せになる」ことを願っていて、一緒の方向を向いている、同じチームなのは間違いない。

 

利己的な自分が肉を買うことを、そして肉を健康のためにゴミ箱に入れたことを許してくれた。逆に博愛の自分の祈る時間をとることを利己的な自分が許してくれた。(自分も含む)がんばっているみんなが幸せになりますように。そんで世界が今よりちょっといい空気感になりますように。

鮭のハラスが美味すぎてハマった。3日に1度、いっぱい焼いておいて毎日食べてる。ハラスは油たっぷりのお腹の部分、マグロで言えば大トロ。油をフライパンに引く必要なくてプリプリの肉からジトジトと鮭の油が溶け出してくる。最高にご飯が進む。このオイリージューシーリッチな割に、世間からご馳走としてみなされていない。カニ食べよう、寿司食べよう、ステーキ焼こうってなるけど、「ハラスいこうか」は響きが渋すぎる。こんなに美味しいのに。実力的にはみんな大好き鮎の塩焼きよりも数段上でOKね。

 

過小評価されていると思うもの。

 

・鮭のハラス

前述の通り

 

・佐々木郎希(ドジャース)

大谷翔平や山本由伸の影に隠れる24歳。ネットで叩く大人が24歳のときにどれだけ良い仕事をしていたか気になる。東日本大震災や高校3年の岩手県大会で自伝映画つくれば全米がホントに泣く。

 

・川崎駅

品川駅から徒歩8分、こんなになんでも揃う駅なのに東京の人は遊びにこようと思わないのか、全体的に空いてる。すんごい旨いつけ麺「三三七」があるだけでも愛される理由になるのに。

 

・野党

外交は野党に任せられない、とよく聞くけど、こんなに自民党の長期政権で野党の実務能力なんてわからんのに、なんでこのフレーズがたびたび目にするんだろう。

 

・アンドロイドの携帯

同じ金額出したらiPhoneを超えてるかも。というかアンドロイドに移行してからの今後の人生で節約できる支出がさあ。

 

・ideco

みんなNisaばっかり言うけど、年齢やら年収の関係でidecoの方が良い人いっぱいいる。ideco、すごい制度だと思うんだけどね。

 

・暗号資産

どの国にいても国内送金みたいなノリ、世界規模で後押しすりゃいいのに。まあ既存通貨まもりたいのはわかるけど。

 

・Braveブラウザ

ほとんどChrome、Safari、EdgeだろうけどBraveの自動的に広告カットしてくれるのが良すぎてもっとみんな使ってもいいのに。Youtubeも広告なしだから大好き。5年くらい応援してるのに全然シェア上がらん。

 

・ホットヨガ

ヨガ初心者が通うところね、ってみなされるけど、健康に全振りするなら冷えやすい脂肪すくない人にとっては常温ヨガよりも全然こっち。

 

・何もしない時間

立ち止まらないと幸せを幸せと感じない。

 

今日もどこかで誰かや何かが過小評価されている。でも過小評価があることで過大評価されているものもある。過大評価された人&物はラッキーで、過小評価されている人&物も実力はあるからその点ラッキー、で、みんなラッキーって思い込めばいいか。ハラスは旨すぎて実力もあるし、おれは多大な評価をし続けるよ。

巷で話題のダークローストオキナになりたい話。
先日都内のとあるスタバに入ったら、柱にレンガを貼り付けてたり、80年代ヒップホップ流してたり、なんかカナダにいるような気分に浸れた。チェーン店なのにこんな空気感つくるのはThe Topですなあ、さすがです。

 

古さで、くたびれた雰囲気と味わい深い雰囲気のどちらに転ぶのか、何が決め手なんだろう。店の外装、内装に限ったことでないんだよなあ。自分自身も毎日少しずつ年を重ねていくから、時間が経って酸化したステイル(stale=鮮度の落ちた)なコーヒーになるか、それとも、味わい深いコクのあるダークローストになるのか。かなり意識しないとステイル方向にどんどん進んでいきそうな気がするんだよね。どうやってダークローストなおじいさんになるかミドルエイジの今くらいから考えておきたい。

 

そもそも味のある深い人間ってどうやってできるのか、どことなく雰囲気ただよう人って生まれ持った何かなのか。いや、赤ちゃんはみんな赤ちゃんで、園児はみんな園児だ。雰囲気は後天的なんじゃないか。中年から翁(おきな)になるまでにまだ何十年かあるんで、ちょっとこれは狙ってみようじゃないか。

 

こういう「深い人間になろう」って考えた時点で浅いのかもしれないけど、何もしないでステイルじいさんになるより、浅い考えでも努力した結果、ダークロースト翁になれた方がいい。なぜかって? なりたいものになるのは自己実現欲求、昔の頭いい人、アブラハムマズローが人間の、生理的、安全、所属、承認の欲求を次々とクリアして残っていくのが自己実現欲求。満たされた現代ジャパンでの生活は自己実現を狙い、達成、新しい目標、自己実現、達成、あたら・・・と終わらないループに陥ることが自然かつ幸せだからだ。

 

ということでダークロースト翁への道。たぶん薄味ステイルじいさんにならないためには偏りが必要かなって仮説を立ててる。もともと人間の好みは偏っている。服装もお部屋もピンクなレディーをテレビでみたことがある。突き抜けた偏り。好きな色があってそれに囲まれたいんだ。社会的に変な目でとか関係ない、そういう吹っ切れたピンクレディーはどんな Old Pink Ladyになっていくんだろうか。

 

そんなこと考えると、自分の嗜好に没頭することにストップをかけるもの、それは規律を求める社会なのか、追いかけた方がいいよねと囁いてくる流行なのか、植え付けられ続けた教育なのか、人によっても違うし、混合なのかもしれない。そういう無難に落ち着くというある種の誘惑に負けない方いいよね。衣食住全てに無理やりはみ出す必要はない。なんか好きな世界に没頭し、尖った脳内を作り、その脳内が行動を引き起こし、その行動の積み重ねがうまい具合に人間を煎り続けて、いい感じに焦げたダークロースト翁(おきな)が完成される、はず。