千葉真一さんというと、私が小さい頃『キイハンター』でアクションがカッコ良くて週末の夜9時放送で、当時は、教育上不適切で子どもには、刺激が強すぎると親が見せることを嫌がりました。
こたつの上からキックの真似して飛び降りて叱られて(笑)。なんだかんだごねて兄と観ていました。観ていない家庭がないくらいの視聴率。テレビが一家に一台だけだった時代です。
千葉さんが息子達に送った言葉は世阿弥の教えですが、マッケンが大切な宝物と言った春馬くんとの共演作を思い出しながら、読んでいました。読みながら、世阿弥の教えって春馬くんの生き方なんじゃないかと思えてきました。父を尊敬し、春馬くんに憧れ続けたのは、父とのこういうバックグラウンドがあったからなのかと府に落ちました。
先日、マッケンが「あの人は超えられない。」と呟いた言葉には、春馬くんへの敬愛と父の教えを大切にしていると感じました。
「あの人の夢を叶えたい」そういってハリウッドに旅立ったマッケン。
失礼な言い方に聞こえるかも知れないけれど、私は、今はまだ、超えなくていいと思っています。大谷翔平さんが、「憧れるのはやめましょう。超えられないから。」とWBCの試合前に言いました。マッケンは、長い間春馬くんに憧れ目標にしてきたんだから、簡単に超えてもらっちゃ困る。まだまだ憧れの対象なんだよね、きっと。そう思っていたいから、まだ私は先の楽しみにしていたいのです。
道は長いからいつか頂点で、ふたりで一緒に並んでいる姿を見たい。
たとえ、目に春馬くんの姿は映らなくとも、私達にはその瞬間を感じられる心の目があると思う。頑張れ、マッケン!
①からの続きになります。
それに比べると、映画俳優の海外進出は、ずいぶん見劣りがする。古くは三船敏郎さん、丹波哲郎さん、そして高倉健さんらがアメリカやヨーロッパ映画に出たが、主演ではなかった。しかも、現地に拠点を置いて俳優活動を継続するに至らなかった。
だからこそ、私は無謀を承知でハリウッドに乗り込んだのだ。しかし、待っていたのは茨の道だった。最大のハードルは英語力だ。現地の英語教師にマンツーマンでレッスンを受け、
家の壁という壁に英単語や英語のフレーズを書いた紙を貼って勉強したが、限界があった。日常会話レベルの英語はマスターできても、日本語をしゃべるように英語を操ることはできないのだ。
オファーのある役と言ったら、日本人か日系人。私自身は日本人以外のフィリピンや韓国などのアジア人の役を演じてみたかったのだが、そんなオファーも一切なかった。
余談だが、私は日焼けした顔にひげを生やしていると、よくメキシコ人に間違えられたものだ。
メキシコは大好きな国だし、一度でいいからメキシコ人の役もやってみたかった。
私の後輩の真田広之‥もハリウッドに活動拠点を移し、かなりのレベルまで英語が上達した。しかし、それでも日本人訛りは出てしまう。若い頃から英語が堪能だった高倉健さんさえそうだ。
そこへいくと、真剣佑と郷敦は頼もしい。なにしろアメリカで生まれ、アメリカで育ったから、英語で苦労することはまるでない。日本で暮らし始めるまでは日本語の読み書きのほうが拙かった。特に真剣佑は高校まで向こうだったため、役者になった当初は日本語で書かれた脚本を読み込むのに苦労した。分からない漢字にルビを振り、繰り返し読んでいる姿を何度も見た。
数年前、ロサンゼルスのレストランに家族で入ったとき、こんなことがあった。
「真剣佑も郷敦も好きなものをどんどん食べろ。パパが注文するから」そういうと、真剣佑が、
「注文は、僕らがするよ。で、パパは何にする?」
と、楽しそうに笑った。私が注文したら、違うものが出てきそうだとでも言いたそうな顔だった。
どうやら息子達の耳には、私の英語はドンくさく聞こえるらしい。父親としては形なしである。
2人とも図らずも日本でデビューすることになったわけだが、私は日本とアメリカの双方で通用する役者となってほしいと考えてきたし、本人達も、その覚悟のはずである。
日本では主演ではなく脇役のオファーを、積極的に受けるようにと助言した。いきなり主演という重い役割を背負うのではなく、脇役の立場から映画やドラマの現場を冷静に俯瞰して眺め、演技を磨いてほしかったのだ。
脇役だから見えること、学ぶべきことは、たくさんある。主役はハリウッドに行ってからでいいのだ。
幸い、2人とも確実にステップアップしている。天賦の才も間違いなくある。
『るろうに剣心 最終章 The Final』を映画館で観たときは、真剣佑の芝居に驚かされた。これだけの動きができる役者は今の日本にはいないし、ハリウッドでもトップクラスだ。私は、自分を超えるアクションのできる日本人俳優に初めて出会った気がした。
その真剣佑には世阿弥が『風姿花伝』に記した「秘すれば花」と言う言葉を授けた。私の芸能生活60周年祝賀会でのことだ。「役者が花を咲かすためには人知れず努力しろ。どんな苦しい稽古も世の中に見せてはいけない」と言う意味に、私は解釈している。高倉健さんがまさにそうだった。