寒中見舞い申し上げます。新年が始まってしまいました(笑)春馬くんを失い、気分は喪中なのですみません。

 今回は、リハビリ入院体験の話です。

 10年前にリハビリ入院中のお正月は、365日休み無くリハビリをしていただけるので、車椅子生活だから、家に帰るわけにいかず当然の様に病院でリハビリしていました。まだ40代後半だったので、入院患者はほぼ年上の方ばかり。小さい頃はコミニュケーションをとるのが苦手でしたと、人に話すとまさかあ!と笑われる事が多かったですが、働きだして必要にかられて馴染む努力をして、明るい人になったかな。主人は見破っていて根はネガティブと言ってくれちゃいます(笑)だから、彼との生活は楽です。装わなくて良いから。そう言う意味では、私も春馬くんの事ばかりは言えないかも。介護関係者、友人達を欺いてポジティブな私を装っているのかも。


 入院生活は、集団の中に飛び込む勇気を振り絞りました。馴染むのにはストレスがかかりました。


 ほとんどの人が車椅子からの今までの自分と違うところからのスタートです。最初は車椅子を自分で漕ぐことも出来なかった。幸い利き手側が動いたので片手でタイヤを操るのですが、慣れるまで満足に動かせません。

 転院した日に、なるべくベッドに上がらずに、車椅子で生活してくださいと言われました。実は、これが一番大変でした。寝たきりで筋力が弱りきっているので、凄く辛かったです。だけど、リハビリだと思い頑張りました。動かないわけにはいかないので、自分で移動する。又、病院の造りが移動=リハビリになっているので、歯磨き、トイレ、食事と車椅子を漕がなければなりませんでした。

 翌日からのリハビリは隣の棟のリハビリ室迄行きます。もうそれだけでも初心者はかなり時間がかかります。徐々に介助もつかなくなり、その頃には、何とか自力でリハビリ室迄行けるようになりました。


 気を使いまくる私を、しっかり理解してくれていた人が私の友人になりました。3歳上の男性とひとまわり以上年上の元アスリートのおばちゃんと。二人に負けないでリハビリするのが、楽しくて。まわりを巻込みよくしゃべり、よく笑い、でもしっかり頑張る。色んな悩みも相談出来ました。リハビリの先生には、うるさいとよく言われました。

が、こんな経験は初めてとベテランの先生方にも言われました。何故?という顔をしていると「普通は、みんな静かなんだよ。笑うなんて、みんな悲観的な人多いからありえないんだよね。」だそうです。

 私達のまわりはいつもにぎやかで人が集まって来ました。

 どうせ同じ時を同じ場所で同じ事をするなら、楽しまなきゃと言うのが私の座右の銘。仲間二人も同じ考えでした。楽しむからこそ、成果も出ました。これって論語にありましたね。

 

 これを知るものはこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

意味は物事を極めたければ知るより好め、好むよりも楽しめ。


この考え方だと心が強くいられました。自分で気付いてなかったけど、昔から信念なのかもしれない。リハビリの先生も私が若いから、力を入れて特訓してくれて、他の入院患者が、あの人みたいに綺麗に歩きたいと言ってもらえるまでになりました。

 退院したくない程充実した2ヶ月半でした。杖歩行で遠い場所のトイレ利用の許可ももらい、外歩行もかなり歩ける様になり、退院許可が出ました。

 が、麻痺手の方はほぼ指先が動きませんでした。今も変わらずです。しかし、利き手は健常なので、元々器用な(笑)私は、結構調理訓練もやってのけてしまいました。日常生活の家事を一人で出来る様になる!が新しい目標になりました。