下に添付した記事を初めて読んだ2,3ヶ月前になんて素晴らしい青年に成長したんだろうと言う驚きと感動を感じたのを覚えている。
 しかし、反対に自分が身を置いているエンタメ業界を産業と敢えて呼んだ事に違和感も感じた。この舞台は、8日目にして中止になり、座長である彼は批難をうけた。   彼は、責任感、正義感と思いやりに長けた人だった。どんなにしんどかったであろうと思いを馳せる。表情に翳りが出ていたように感じた。又、それも美貌から大人の男を演じる上で魅力と受け止めていた。
 「血の通った仕事」の後に続く自分の思いを表す言葉に「信じている」では無く、敢えて「自負」と言ったことに彼のこの舞台への思いの深さが感じられる。この「自負」は、衝撃的だった。今までの努力で培ってきたものを背景に感じた。今尚、悲哀や無念をどうしても感じてしまうのだ。
 座長として中止になった無念とか、チケットを買い楽しみにしてくれたお客様への申し訳なさとか、これから前向きに頑張っていかねばとか。もっともっと色んな色んな思いを背負っていたのかと想像すると、彼の優しさが辛く、そして心に沁みる。
 一年前のキンキーブーツの大阪公演の明るい歓びに満ちた千穐楽舞台挨拶も思い出され、目頭が熱くなる。


「この“産業”は、血の通った仕事だと自負しています」三浦春馬が最後の舞台公演で語ったこと――2020年の訃報記事 | 文春オンライン

https://bunshun.jp/articles/-/42246