【釣り場確保!】釣り場で「人だかり」にうんざりしない。ストレスフリーで釣りを楽しむ唯一の視点
今回お届けしようと思っているのは、
「釣りでボウズだったけど、上達したわ〜!」って感じたことについて、です。
一見、矛盾したことのようですが、
釣りだけでなく、
日常や、
仕事でも、
心地よく過ごすために必要なことについてまとめています。
もちろん、タイトルにもある通り「釣り場の確保」にも繋がっています。
改めまして、
どうも、いっちーです。
ぶっちゃけ、ぼくは、
「極度のめんどくさがり」です。
手軽で楽そうな効率良い情報が大好きですし、
好きなゲームですら、攻略本をフルに使いながらクリアしていたような人間です。
もう、とにかく
「1度の努力で、最大効果を発揮すること」大好き人間なわけです。
ですが、ちょっと手間をかける程度で
成果につながる実感の喜びを、あっさりと体験できちゃったんですよね。
実際、ぼくは「ビジネス」ってものをやってきた人間であり、
「失敗=苦しい生活」という日常を当たり前に生きてきた人間なんですが、
今では「失敗」すらも「成功」と同じくらい喜べるし、
実際に「実力が身に付く」ってことを体験しましたし、何より「努力」とか「めんどくさいこと」って認識なく、実力を身につけることができるようになりました。
その証拠としての「ボウズだけど上達したわー」っていう感じ方をできるようになったわけなんですね。
今のぼくは、
「ボウズすら喜べる視点」となった結果、
よく釣れる人気スポットとかの情報に左右されて、人だらけの場所で釣りをするストレスから解放されたし、自分が赴いた場所で魚がわんさか釣れてるってことは当たり前になってきました。
ですが「釣れることが全て」の時のぼくは、
人だらけの釣り場で
他の釣り人との距離が近くてイライラしてたし、なんなら隣の人とルアーが絡まって「お祭り状態」になって、さらにイライラしてたし、
他にも「ゴミを平気で捨てる人」を見たり、
ドボドボと餌をばら撒いて、異臭がする海で釣りをすることにもイライラしてました。
そうやって「釣れること」にだけ囚われていたぼくは、「人の弊害」のような事ばかりに、イライラしまくってました。
だから、「失敗を心底喜べるぼく」になり、そこから解放されて、ストレスがない状態で魚に向き合えることは、釣り人として嬉しいなーって思います。
でも、これって釣りだけでなく
「ストレスがない日常」を手に入れるためには、必要なことがあるんです。
それが「結果にコミットする」ってことです。
別に「成果主義(釣れること主義)」ってことじゃなくって、
結果にコミットしたことによる「成果を上げるための過程を知ること」が「自分の実力が上がっている」っと実感できるから、その結果として「ストレスがない日常を作れちゃう自分」になっているってことを実感したから、「結果にコミットしたほうがいいよね」って感じられたわけです。
簡単にいうと、
「成果に結びつく過程」がわかる自分なら、
「魚が釣れる現象」を紐解くことができるから、
結果として「あそこで釣れたぞー!」っていう情報や、人気スポットにすがりつかなくても、「人が少ない場所で釣れまくる日常」が当たり前になるってことです。
逆に「成果に結びつく過程が見えない状態」をずーっと続けていた過去のぼくは、
「人だからができた釣り場」に立たないといけなかったし、
「ここが釣れてるよー!」っていう結果の集合体の情報に左右されちゃうわけです。
だから、「釣り自体」は楽しいはずなのに、釣りをするからこそ「人にイライラする日常」があったわけです。
そこに嫌気がさして、釣りをやめちゃう人がいるのも納得できるなーって思います。
「成果を上げるための過程」を知ることは、マジで意味があります。
それは「なぜこの魚が釣れたのか?」ということを知ることができるから、であり、
「自分が出したい結果」を解き明かせるから、偶然じゃなく、必然として「結果」をコントロールできるってことだからです。
その結果として「釣り」なら、
場所を問わず「釣れる条件」に合うところを自分で自在に見つけて「釣る(結果)」をコントロールできるってことです。
そうやって釣り場を選ぶ選択肢が「人気スポット以外」でも広がるから、
結果として「人だかりができないストレスがない釣り」を楽しめるってことです。
だから、
「ボウズ」であっても「何がダメだったのか?」を明確に感じられるから、
そんな自分に、どんどん近づいている実感をできること自体が「楽しい」と喜べるわけです。
多くの人が求める「結果」が運次第かのように感じてしまうのは「成果を上げるための過程」が見えてないからに過ぎないわけです。
その1つ1つを解き明かせば、
間違いなく「成果」に辿り着くことは間違いないわけで、
「結果が運次第」と感じてしまうのは「ただめんどくさがっている現状」があるからだけなんですよね。
結果が運次第の人は
「結果(釣れる)が集中してる人気スポット」にしがみついてしまうから、結果として人が集中して「人のイライラ」を釣り場で感じてしまうわけです。
これからお届けする内容は、
間違いなく未来を明るくする内容です。
なぜなら自分が思い通りに結果をコントロールできるからです。
そうなれば「ボウズでも上達に近づいている」という観点は当たり前になるし、
自分の全ての行動が「結果」に結びついていることを知れるから不毛な努力をせずに済みます。
これからお届けする内容は、
そんな「努力を努力」とせずに、
自然と「結果が出ちゃう自分」に向かう話です。
それはもちろん、
「釣り」なら「釣果」に結びつくし、
仕事であっても、
人間関係であっても、
全てにおいて「結果が出ちゃう自分」に向かう話です。
とはいえ、別に講釈をたれるつもりはありません。
あくまで「ぼくの振り返り」として、まとめていきます。
ですが、ここまでちょっとでも共感できる部分があるのなら、きっとこれからの自分の行動のヒントになると思います。
「成果に結びつく過程を見出しちゃえば、全てが思い通り」
さて「釣れる未来」であり、「結果が出ちゃう自分に向かう」ってことに必要なのが何かわかりますか?
多くの人は
・釣り場選び
・ルアー選び
・餌で釣ること
こういったところを考えると思います。
でもそれでは、足りなかったんですよね。
実際にそれだけだと、釣果にばらつきが出ます。
簡単な話「再現性がない」ってことです。
仮に「釣り堀」に行ったって、再現性は保てません。
なぜ、そうなっちゃうのかというと、
「成果に結びつく過程を紐解いてないから」です。
つまりは、「魚が釣れる」という成果の過程を言葉で説明できないから、「狙って釣る」ってことができずに「人気スポットじゃないと釣れない」って人が溢れ返るわけです。
仮に再現性を保てないことを繰り返して「釣れる」ということがあったとしても
「ここに行っときゃ間違いない」みたいな『人気スポットじゃないと釣れない自分』から抜け出すことができないわけです。
実力がないのに、成果を求めるから、結果としてストレスが溜まる日常を我慢するしかない、ってことになっちゃうわけですね。
それでも「釣果が全てだ」っていうのなら、最初から「お金を払って魚を買う」っていう『お金で釣り上げる」ってスポーツをやればいいんじゃないかなって自分自身で思いました。
「釣果が全てだ」って考え方は、マジで不毛です。
なぜなら「ボウズであることに落胆する」からですし、
もっというと「ボウズという結果にある自分の上達への鍵」を見落としちゃってるからです。
ぼくも1年前は、そこが難し過ぎて、とにかく人気スポットに行っては、人にイライラし、ボウズで「時間を無駄にしたわー」って、さらにイライラしていました。
でも間違いなく言えるのは、
「これって釣りだけに限ったことじゃない」ってことです。
それこそぼくは、
前職でリハビリ専門職の理学療法士として働いていましたが、
資格を取得して働き始めた頃には「患者さんの体が治る」ってことが紐解けずに、患者さんのリハビリメニューを「ガイドライン(これやっとけば間違いない的なマニュアル)」に沿って作ることしかできませんでした。
そんな実力が伴ってない状態で働くことは苦しかったですが、その中でも1番ツラかったことがあります。
それは「リハビリの業務をこなすことが上達するだけで、患者さんの体を回復させることが上達してない自分を認めないといけなかったこと」です。
そんな状態だから、
当然、自信を持てずに周りの意見に左右されながら、言う通りにするしかなかったわけです。
本当にツラかったです。
他にも「釣りに限ったことがじゃない」ってことがありました。
それはぼくが「ネットワークビジネス」をやっていた時の話です。
ビジネスに参加して、初月売り上げ200万円を出せても「なぜ売れたのか?」を言葉で説明できずに、自分の仲間に稼がせることができなかったことがあります。
もっといえば「恋愛」だってそうです。
「彼女の心」を紐解けなかったから、気まずい別れ方をしたことだってあります。
そうやって、あらゆることで
「成果に結びつく過程」を紐解けずに、苦しんだことが釣り以外にもたくさんあったわけです。
ですが、ぼくは釣りで「ボウズすら上達に近づいている」という気づきが、過去のそれらがなぜそうなってしまっていたのか?という部分を全て解明してくれたわけです。
なぜぼくが「釣りを通して『結果にコミットする』」って話をしたのかというと、
釣りにおいて「単純に釣れる」ってことでは感じられない喜びがそこにあるからです。
とはいえですね、
あえて何も考えずに、ある意味「瞑想」かのように楽しむ釣りがあることも知っています。
それに単純に「釣れる」ってだけでも釣りが楽しめることも知っています。
実際「釣れる」ってことをたくさん経験できることはめっちゃ大事です。
だって、そこから興味を持って、それこそ「成果に結びつく過程」を紐解く入り口に立つことができるから、ですね。
でも多くの人が「釣れる(結果)」だけに集中して、なんなら「SNSで自慢するために釣果を求める」人もいます。
その結果、
「餌をばら撒けば釣れる」みたいな思考で「餌の異臭が広がる海」が出来上がるし、
「とにかく人気スポットで、1投でも多くルアーを投げれば釣れる」って思考になって、釣り場に人だかりができたり、場所を取るためにキャンプまでやる人がでてきたり、初心者が釣りマナーも守らずに、周囲の釣り人をイライラさせたりするわけです。
キャンプ自体を楽しむのならいいんですが、
「場所を取るためにキャンプまでしないといけない」ってことは、間違いなく「それ以外に釣れるポイントを自分で見つけ出せないから起きる現象」に他ならないから、ここでは例として挙げさせてもらいました。
つまり、ぼくがここで言いたいのは、
「単純に釣れちゃう」ってことの喜びだけだと、ストレスなく釣りができることだったり、
自分で開拓した場所で狙って魚が釣れる、という喜びを感じることができないから、
ぼくは「釣り」に対して「結果にコミットしようぜ」ってことをお伝えしたわけです。
釣りを通して「全ては自分の思うがままにコントロールできるんだ」という喜びを感じた時に
「腹の底から湧き出す感動」を感じ取ることができるわけです。
これはあくまでぼくの主観ですが、
「釣りを愛する人」の喜びって、こういうことじゃないかな、っていつも思います。
だから「ボウズの日」を「この仮説だと釣れない」という貴重なデータを取れる日として認識できるから、喜びに感じ取れるし、
竿、リール、仕掛け、ルアー、のメンテナンスをやっている瞬間にニヤニヤしてしまうのは、
「貴重な1本の魚を、絶対に逃さない万全の準備であり『成果に結びつく過程』」であり、釣り場でルアーを投げるっていう「過程」と同じように認識しているからじゃないかな、と。
これって、ある意味「長期的な目標を達成する喜び」と一緒だなーって思います。
例えば、ダイエットをして「半年間で○○kg痩せた!」という長期的な喜びであり、
自分自身が変化し、成長した現実を作り上げることと同じだな、と。
逆に「釣果だけ」の喜びって、
自分のストレス解消のために、ゴロゴロとYoutubeを見て、エンタメでちょっとした楽しみがあっても、「自分の日常」は全く変わってないことに、さらにストレスを感じ「次の動画」「次の動画」と繰り返し見てしまうことと同じだなーって思います。
そして、この時思ったんですが、
これって釣りだけでなく、
仕事なら「収入(成果)」を増やすこともできます。
それこそ「お金が動く」ってことや「人がものを買う」ってことを紐解けば、どんなことでも仕事にできます。
人間関係なら「住み良い日常」を作ることができます。
それこそ「どんな人なら自分はストレスなく関われるのか?」「誰と関わるべきなのか?」ってことを紐解けば、そんな人がいる場所、コミュニティ、好きな言葉、趣味を予測することで、どんな人とでもリアル、ネット、関係なく繋がることができます。
そうなれば、釣りはもちろん、自分の日常も、人生も、思いのままに描くことができるわけであり、シンプルにそんな日常や、成長した自分には憧れられるな、って思ったわけです。
つまり、物事がなぜ起きているのか?その心理の探究。
これは、釣りも、理学療法も、それこそブログやSNSですら、全てが繋がっているな、と感じています。
釣りでは「なぜ釣れるのか?」を知ることができました。
海の環境以外に、空も山も、人も「釣れる」に繋がる大事な要素であることを知りました。
理学療法だって、
人が筋肉だけでなく、脳神経や認知機能、心、それら全ての総合力で「動く」ということをやってのけていることを知れました。
ブログなら、ただただ肩書きや実績でマウントを取っても読者はこちらの言うことなんて一つも聞いてくれないことを知りました。
そんな「これなんだろう?」ということを解決できた時の喜びであり、その思考って資産だなっていうことを釣りを深めていく中で気づけたわけです。
そう考えたら、
過去の「単純に釣れることだけ」を意識していたぼくは、結果をコントロールできない中で、ただただ我慢しながら、喜んじゃってるように錯覚してたんだなー、って振り返ることができたわけです。
「成果に結びつく過程を見出せる自分」になるまでに、必要な「余裕」とは?
釣りをあなたがどのように捉えているかわかりませんが、
以上を踏まえたら、
「結果にコミットする」ことで、
成果に結びつく過程を紐解く入り口に立つことができるし、その結果として「実力」が身に付くことを感じれると思います。
そして、目の前の「ボウズ(結果)」ですら、
自分の「過程の紐解きの精度の落ち度」を発見できる現象の1つであると捉えられたら、途端に喜べる出来事になるってことも感じてもらえると思います。
トータルで「成果に結びつく過程を紐解く視点」って全てのことで大事になるってことを釣りを通して実感することができたわけです。
ただの「釣り上手への道」とかでなく、
ぼくと仲間でやってる「釣り」は、情報に左右されず、自分自身の実力を身につけること、さらには「自分で自身の人生を切り拓くこと」にもつながっているわけです。
だから、自分の仲間には、
ただ「釣り」を体験して「楽しかったねー!」ということではなく、情報収集をする時にもその精度を求めますし、上手さも共有し合います。
とことん「成果に結びつく過程を紐解く精度」をすり合わせまくります。
なぜなら「自分の思考の精度」を見つめられない人に「過程を紐解くこと」ができないことはもちろん、
「たまたま成果が出る」ってことの先にある「狙って成果を出すことの喜び」を共有できないし、
「釣り場に人が少ない状態で、狙って魚を釣る」っていう腹の底から感じる感動を味わうことができないからです。
日曜の家族サービスのお父さんたちを否定するわけではないですが、
・乗っかり
・お客さんに近しいスタンス
・利用して終わり
・体験して楽しかった
そういったスタンスを子どもたちに与えてしまっているとしたら、
「自主的に考えて『成果を出すための思考力』を棒に振っている」と言えるんじゃないかと。
これはぼく自身が体験したことですが、
ただただ「成果がなんとなく出ちゃう」「魚が『釣れちゃう』」そんな「結果が出ることの上澄みだけの喜びで満足しちゃう」ってことでは、相手は本気になれません。
なぜなら「成果」でなく「過程の喜び」は自主的に考えて初めて見つけ出せるものだからです。
ぼくも最初は一緒に釣りを始めた周囲の仲間に「結果が出ることの上澄みだけ」を感じさせることに注力していました。
しかし、結局仲間自身が「釣り場を開拓する」って意識になり、腹のそこから感じられる感動を一緒に追いかけるようになれたのは、「結果にコミットする」という視点を共有した時だけだったんです。
でも、いろんなことを経て、ふと気づきました。
これって「自分でお金を生み出す」ってことと同じってことです。
ぼくがネットワークビジネスを経験しているからこその視点かも知れませんが、
「結果が出る時」って
・なぜ人が欲しがったのか?
・なぜ人が行動したのか?
・なぜ人が商品を買ったのか?
「過程の全てを網羅しているとき」にだけ、安定します。
もちろん、それが「正解」というつもりはありません。
ですが、少なくとも「自分と関わりを持とうとする人の思考」をデータ化して、仮説と検証を繰り返した統計として網羅はできます。
いわゆる「近所の釣り場のことなら任せろ!」ってことと同じです。
そして、そういった「過程を紐解く視点」だからこそ「努力を努力とせずに結果が出ちゃう」ってことであり、
「努力しなくても自分でお金を生み出せる未来」があったりするわけです。
少なくとも、ぼくは前職の理学療法士ということとは畑違いのインターネットを活用した事業を展開していますが、それでもお客さんがいることや、売り上げを立てることができたことにも、「過程を紐解く」という視点が繋がっていることを実感しています。
そして、逆に「過程を網羅できてない人」の仕事って、やっぱり安定してないし、気分で成果が変わるから、他者からしたら「頼れない人」になるわけです。
それが「個人事業主」なら、当然として「仕事を任せられない」「信頼できない」からこそ、収入が安定しないんだな、ってわかるわけです。
つまり、
・壁が出てきた時に「どうしよう???」と考える力
・「どうしたいのか?」と思う意思
・叶うまで続けちゃってる忍耐力
これが「狙って結果を出せる自分」に必要である。
そして、それが自由に収入を決められることだったり、自由な仕事をできることだったり、自由に時間を作れることだったり、そんな日常に繋がっていることを「釣り」を通して、再確認できたわけです。
とはいえ、ここには
自分自身が「ボウズ」という刺激に対して、余裕を持てるだけの精神的体力であり、自分が「自在に結果を出せる状態」に上り詰めるための「時間的余裕」これらが必要です。
そう考えても
自分の時間的余裕、ゆとり
自分の釣り道具が壊れてしまったとしても「問題ない!」って本音で言える心のゆとりであり、金銭的ゆとり
これらが前提だな、とも思いました。
だから、ぼくは生まれて初めて「収入や、時間を自由にできる起業」という手段を手に取ってよかったな、と喪頃から思えました。
今、ぼくは釣りだけでなく、
いろんなものに、ここでの経験が生きていくことに確信があるわけです。
理学療法はもちろん、幼少期から触れてきた音楽でも再現できる確信があります。
もっというと、それは
「結果にコミットする」ということ、そして「成果に結びつく過程を紐解くこと」のポイントさえ知ってしまえば、誰にだって再現できることであることもわかりました。
実際、ぼくの釣り仲間は「過程を紐解く視点」を共有したことで、共に「釣り場の開拓」を考え、導き出せるようになりました。
ぼくが、そういった「過程を紐解く視点」のきっかけをもらえたのは「稼ぐ」ってことを体験できたからこそなんですよね。
だって「稼ぎ」とは「結果」によってもたらされたものであり、事業をやっているぼくは「稼ぎ」がなければ、生活できないからこそ「過程を紐解く視点」を、身につけることができたからです。
結果にコミットして、
たまたまの成果じゃなく、
「安定的な収入」を作るために、
全力で「成果を出す過程を紐解く」ということをしたからこそ、「稼ぎ」だけでなく「釣り」「理学療法」、全てのことに通じてるってことを知ることができたわけです。
ですが、「成果を出す過程を紐解く視点」をぼくみたいに事業をやって、背水の陣かのような状況で「稼ぎ」に取り組む必要もないと思います。
とはいえ、「稼ぐ」ってことが、自分の日常を豊かにすることは間違いないし、
2021年現在で、コロナ禍で「職を失う」ってことを身近に感じられたことで「金銭的な余裕の大切さ」を実感していると思えることからも、
「稼ぎと向き合う」って大事だと思います。
だから、「成果に結びつく過程を見出す視点」であり、「稼ぐ」を体験することを、ブログを眺められる今のタイミングだからこそ、やってみて欲しいなーって思うわけです。
そして、ぼくが唯一「稼ぎ方」を学んだ相手であり、
これなら「成果に結びつく過程を紐解く視点」を身につけるにたり得るなーって思った人の記事があるので、それはこちらで紹介しておきます。
金銭的余裕や、時間的余裕、精神的余裕、
釣りであり、収入、ライフスタイル、人間関係を自在にしたいなーって思う人は、一読してみるだけでもありなんじゃないかなって思います。
とにかくぼくらが、結果をコントロールできちゃうような日常を作るためには、「結果にコミットする」ことであり、「成果に結びつく過程」を紐解くことにあるわけです。
そのことを「釣りでボウズだった今日」を通して気づいたので、まとめさせてもらいました。
ではまた投稿します!
いっちー