おばあさんは痴呆症(証)を病んで週に4日は老人週間(昼間)保護サービスに世話になっていました。 その通勤列車を発見したことでした。
それから3日後、また、お父さんから、昨日お母さんとともにおばあさんを確認しました。 煮込んでメールがきました。 メールはいつも一方通行であるから出て行って返事をしてもそれに返事は達しません。 私はもしかしたら無事を確認したというメールであるものではないだろうかだと考えたがまた、後日に、おばあさんの化粧と葬式を片づけるので帰ってこいでメールができました。 その時悲しい気持ちと共に安堵感もありました。 安否を分からない人が多くある中で家族皆の安否を分かったことなので。
多くの支援物資を持って実際に家に帰れば考えていた以上で皆が明るく元気だったので安心しました。 しかしライフライン(life line)がない生活は過度に苛酷だった。 4月とはしてもまだ5時にはオドゥウォジからその時期にはご飯を食べてみな食べれば寝るという生活でした。
毎日の配給は菓子パンや日本式菓子、おにぎりがくれば幸運だと話しました。 もちろん全部流通期限は切れていることでそれが当然だだと話していました。
他は瓦礫の山で自衛隊がうようよあるような環境です。 このような生活を今まで、そして今からもしていく家族に頭が上がらなかったです。
3日後には戻るのにも、秋田(秋田)にもうすぐ戻りたければ話してしまった自身の小ささと心の弱さに情けなくて仕方なかった。
AKBはいじめがマジでひどい
