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勢いで会社を辞める自由に生きることを決意。フルコミッション営業の世界へ。俺の人生は一体これからどうなってしまうのだろうか?妻一人子二人本当に養っていけるのだろか?

何もかも手放して。0からのスタート。不安・恐怖でいっぱい。だけど心の底では『やってみろチャレンジしてみろ!!』

と叫ぶ自分がいる。本当に俺の人生これからどうなるのだろうか

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東京の印刷工場での仕事は割貸し楽な仕事が多かった。
松戸の賃貸マンションから立川まで通うのが大変なだけだった。

工場長は無口な人だった。

他いでさんというかたがいた。この人も決して悪い人でないが
なんとなく愛想が悪い感じだった。このころの自分はどうしても
自分に対して不機嫌なのかと必要以上に考えていた。

他工務担当の伊藤さんと笠原さんがいた。

二人はわたしより年齢が2つ上くらい。

非常に良い先輩で色々と教えてくれた。

二人とも元は営業みたいだった。なぜ若手の2人が営業から転属されて工務に
なったか、自分ではわからなかった。
だけど伊藤さんと話して、どうやら結構印刷の営業先がたいへんらしく
体を壊しやむえづ工務に回されたとかいう話だった。

良く考えてみればなんとなくこのころから嫌な予感がしていた。

後から東京営業所で聞いたが笠原さんも営業として決して
悪くなかったが、なぜか常務の一言で飛ばされたとのことだった。
東京営業所への配属

研修1カ月が過ぎようやく研修が終了。

松戸の賃貸マンションから東京営業所に移動になった。

東京営業所に勤務。
メンバーは

営業は平本さん、あまくん、

工務は橋本さん

課長はヤマダ課長

事務の女性
デザイナーのIさん
サブデザイナーのBさん

立川と違い少しピリピリした。
なんだか嫌な感じだった。

ルート営業なので数字を追いかけるような感じの営業ではない。
しかし、自分の仕事の中で一番嫌な時間はこの印刷会社での仕事
だった。

半年間だけど、先輩のヤマダさんに怒られて、自信をなくした。
それがこの会社での出来事である。

何がいやだったか整理してみたい。
本当の試練の始まり。
東京・大塚の会社をやめ次の就職先が決まるまで1カ月とかからなかった。意外と早く見つかる。

しかし本当の試練の始まりはここからだった。
転職先の会社は立川に本社を構えて虎ノ門に本社がある会社だった。

昔ながらの会社で、特に営業ノルマは厳しくなさそう。
まず最初は印刷工場に行き印刷の工程を覚えることから始まった。

北松戸から立川までの出勤は結構たいへんだった。しかし、乗換は3回ほどで
武蔵野線にのればぐるっと言う感じで
立川までついてしまう。
こうして僕の新しい生活が始まる。

朝はコンビニでコーヒーを飲んで出勤。このころミーシャの音楽が流れて
はやっていた。今でもなぜか覚えている。

印刷工場の人たちもとっつきにくいが、決して悪い人はいなかった。
いでさん、やいとうさん等みな親切に教えてくれた。


後悔の念に駆られながらも東京・大塚の印刷会社を辞めて晴れてプータローになった。

一人暮らしで1カ月しか経過していなかった。

このまま実家に帰ることこともできない。とりあえず求人を探すぞ。

anやB-ING等に求人に掲載されている東京の会社に片っぱしから電話した。

27歳だがこの時すでに6回ほど転職を経験しているのでもう転職活動
は慣れていた。

結局前の会社で印刷会社がどういうものか分かり始めていた。
自分の向きか不向きかはこの時わからない。

結局半年後に印刷会社が不向きということがわかるのである。

2、3社ほど会社を受けて、1社受かる。

名前はフジ○○という会社である。

以外と早く見つかる。1カ月ほどで見つかった。

東芝等大手との取引も多い。この会社には5月末から出社することになる。



色々な方向性を考えてみた。やはり辞めたい。
当時付き合っていた彼女にも相談してみた。

色々悩んだ、だけど取りあえず我慢してみようか?
なんて考えも浮かんだりした。

しかしたまたま、社員の方にボーナスのことを聞いたのだが
なんとボーナスが出ないとのこと。

そのボーナスが出ないことに自分は一きにモチベーションが下がった。
『ボーナスでないのにこんな仕事たいへんなのか』

やってられない。夜は遅し、みなが酒を飲んでいる時間帯に仕事しているなんて
月給25万じゃ耐えられない。

もう我慢できない『やはり辞めよう』と決断した。

しかし紹介してくれた先輩にも悪いなと感じ。

何といっても社長に本当に申し訳ないと思った。
せっかく若手の人材を採用したのに、直ぐ辞めてしまう。
あ~こんなことだっら最初から応募なんかしなければ良かった。
先輩も会社の人社長にも迷惑をかけてしまう。

本当に悔やんだ。社長にもその旨を伝えた。
社長は最初は逃がさないぞなんて強気で話していたが
結局最後は、そうかそれなら辞めなさいと
元気の無い声で自分に話した。

この元気の無い声を聞いて本当に申し訳ないと感じた。
そして自分の安易さを悔やんで、自責の念に駆られた。

そして先輩にも電話した。社長以上に先輩に電話するのは
嫌だった。先輩は少しキレ気味になりながらも
了承してくれた。

今でも覚えているが、その夜泣いた。
彼女のところへ電話した。
『社長すごく優しかった本当に自分が悪いことした』と
泣きながら彼女に松戸の賃貸アパートから電話したのを覚えている。

今思うと本当に情けない。

・給料はボーナスは自分で稼ぐもの、会社が支給してくれるものでない
・残業のことはしっかり聞く、平均どれくらいの残業なのか確認する

以上のことは大事なことだ

こうして晴れてまたぷータローになった自分だったのであった

東京・大塚の会社に転職して1ヶ月経過したころこの心の葛藤が本当に
激しくなってきた。
深夜までの残業。社長は優しく、当然深夜まで仕事をするのだから
朝はゆつくりでいいとのこと。10時が定時だが昼からの出社
でいいとのことだった。



夜が遅い分わりとルーズだった。また気を遣って頂いて
時には早く帰ることも可能とのことだった。
しかしこんな夜遅くがずっと続くと思うと
自分は耐えることができるか心配だった。

社長があまりいい人で無くまわりのみなも良い人でないのであるならば
直ぐに決断できただろう。1週間でやめていたに違いない。
しかしみないい人ばかりということ、社長も素晴らしい人それで
紹介で入ってきてるので自分の先輩の顔もある。
しかしやめたい。ものすごく悩んで葛藤が心苦しい。

人生の中をふりかえっても一番悩んだ時期だろう。

ある日いつものように金曜日だが大塚から銀座に行く。
夜の8時ころだろう。車の中から外を眺めると、花金なのか
サラリーマンがわいわいがやがやで会社帰りの様子。

『これから合コンなんかで飲みに行くのか?』
とふと考えてしまった。

それに引き換え自分はこれから仕事。
自分も金曜日は友だちと飲みに行きたい!

同年代の仲間と金曜は飲みにいったり遊んだりしたいな~と
ついつい考える。当時の自分の理想のスタイルは金曜等週末は社内の友達
や同僚で飲みに行くことだった。そう考えるとと今の仕事が無性に嫌になり、不満のところが
やけに目立つ。

心の不満分子が増殖するのが分かった。
だけど社長も良い人だし、なんしろAさんの紹介で入社したから
と辞めたいけどやめられない、心の葛藤が激しくなった。

仕事は印刷というよりかは製版主体だった。
ゼクシーや賃貸等のゲラををもらい製版フイルムを入稿するまでの
仕事が中心だった。

りくの担当者のかたもみないいかただった。
へんなやつとか一人もいない。ある意味印刷営業というよりは
ほとんどドライバーに近い感じだった。版下やゲラを取りにいき
製版フイルムを納品する。本当に配達やみたいな感じだった。
1日銀座と大塚を何度も往復した。

少し仕事には慣れてきたが、気になることがあった。それは残業が多いので
ある。なぜ残業になるかというと、リクルートから深夜注文が入るからだ。
夜の8時とかに電話が入り、そこから車で銀座まで行く。

そうすると夜の11時に帰宅ということになる。結構夜1時までとかが多かった。
というよりかは夜の仕事なのである。昼間は暇で事務所にいて夜銀座に行く。
その繰り返しだった。

当時の僕は本当に馬鹿で、夜遅くなる仕事に非常に嫌気をさしていた。
とくだん難しい営業でなく夜遅くなることさえ我慢すればいいのである。
給与は25万円。ま当然悪くない金額である。当時26歳だったが妥当の金額で
ある。だけどこの金額にこの給与はわり合わないと愚かな考えを抱いていた。

正直印刷会社に入りたくて入ったわけでない。ルート営業が主体だし
楽じゃないかなと思い入社した会社である。

ぼくはペーパードライバーだったので、最初のころ運転がとても苦手だった。
社長から営業というよりかは最初に教わったのが運転のしかただった。

社長も世話のやけるやつだなと思っていたに違いない。

大塚から銀座まで車でいくのだが、特に大変なのが、駐車だ。
銀座は駐車する場所が少ない。何回も銀座7丁目の路地をまわり、あいているとこ
を探すのである。運転の慣れない自分にとってすごくたいへんだった。

社長は仕事を丁寧に教えてくれた。


まずこの東京・大塚の会社に入りやったことは、挨拶まわりだ。
印刷会社って基本はルート営業が主である。

この会社の強みは製版であった。印刷の機械とか自社で
もたなく全て外注だ。
取引先はリクルートが中心だったRのゼクシーや賃貸情報等
の制作部が取引先であった。

取引先のR社も制作畑のひとばかりで、みんな良い人ばかりで
あった。
それにみなRの人は優秀である。

版下とか回収に行き、本来ならデザインをこと細かくヒアリングするので
あるが、版下の指示が的確であるので、特にヒアリングする必要が
ない、そのまま打ち合わせ無でもらってきて大丈夫なのである。
さすが制作のプロ。
これが素人相手だとそうはいかない。

まずは紙に指示なんて書かない。

口頭でこんな感じで説明するから、一回で済まない。何度も
修正をかけることになる。
しかしりくの人の場合、指示が的確なので一回で済むのである。
だから自分の仕事はほとんど運び屋みたいなものであった。

そんなこんなで社長と同行して挨拶まわり。
陸の担当者とあいさつを交わした。