謝罪名目で吉澤ひとみを断罪してる所属事務所や 娘。OG 等の発言は、無意味な感傷であり、かつ人権無視の越権的リンチ行為である。
当の事件には何の責任も取れない人々の 「 社会への謝罪 」 名目での 「 断罪発言 」 は、吉澤ひとみ本人の基本的人権と、罪刑法定主義での裁判官の権限を無視しての、マスコミとインターネットを介した社会的リンチ行為である。 自らが裁判官であるかのように錯覚しての越権的な断罪発言を直ちにやめよ。
自らも被害者である者の謝罪は、自滅 ・自罰主義につながる明白な自殺行為である。
ハロプロとモーニング娘。は
こんな事に足を掬われずに輝け!
「 残念です 」 「 悔しいです 」 「 信じられません」 にとどめよ。
あなたたちは裁判官ではないのだ。 公けに他人の罪を断定し、 「 絶対に許される事ではない 」 等と発言したり、自らには本当の責任も無いのに、勝手に 「 謝罪 」 したりするな。
集団責任のつもりだろうが、集団責任とは唯、その集団が支配されてる 「 群体 」 であることの証しでしかない。
TOKIO の 4 人での謝罪会見でもそうだったが、そうする事で逆にその集団全体が薄汚れたものに見える。
集団責任とは美しくなどなく、みっともなくおぞましいものだ。
( 独裁者の怒りを買うまいと、不心得な身内を自ら殴って見せる独裁社会の脅え切った国民の様子と何故か重なって見えてしまう。 )
吉澤ひとみの対人傷害事故とそれに付随する犯罪行為について、彼女の日頃の行いと酒癖の悪さをほぼ把握してた筈の所属事務所 J.P Room の謝罪さえ、事務所自体が何らかの責任を取るつもりは無いだろう。 にもかかわらず、今回の事件では何ら責任を問われるべく理由もなく、責任を取れる筈もなく、責任を取るつもりも無いだろう人々が、ブログなどで次々と ( 世の中に対して? ) 謝罪を表明する …という奇妙な現象が、まるで当たり前のことのように起きている。
が、それは 「 謝罪 」 名目の 「 断罪 」 のように聞こえ、吉澤ひとみの人権を無視して前途を絶つ社会的なリンチ ( 私刑 ) 行為のように見え、少しも美しくない汚れたものの様に見える。
( 明白な犯罪行為だから警察と司法に任せ、一切触れないのが正解だったのだ。 精々が 「 明白な犯罪行為ですから、警察と司法の判断を待ちます。 大変お騒がせ致しました。 」 であろう。 それ以上は仲間内や独り言の範囲であり、公に言えば言い過ぎとなるのである。 )
元 ・モーニング娘。の初代リーダーだった中澤裕子氏や、普段ハロプロのイベントで MC を勤めてるマコト氏などの発言がそれだが、「 謝罪 」 というものの本質から言ってもそれらの発言は全く馬鹿げており、何ら体を成していない。
謝罪とは何か?
謝罪とは 「 悪かった、許してくれ 」 ということである。
本来的にそれは本人が言うので無ければ全然意味がない。
謝罪というのはその罪の責任を本当に負う立場に在るものが、自らの罪を償う覚悟を決めて行う行為であり、自らは責任を取るつもりも責任を取らされる心配もない者が横から口を出しておこなって良い行為では全然無い。
そうした勘違い的な謝罪行為は、過保護な親や教師などが自らの管理責任の故にその子供の不祥事で子供の代わりに謝罪しようとする …というような場面で時折見られる。
が、それが通用するのは、そうした親や教師に当の子供の管理責任があり、子供の代わりに責任を問われてもそれに応じるつもりが有るからこそのソレである。
しかし、今回のような犯罪事件に於いて、容疑者 ・吉澤ひとみの日常行動の管理責任も、事実上の管理能力とて有る筈の無い、ただ過去にその身近に居た事がある …というだけの人々が、吉澤ひとみ本人の取るべき責任を代わりに取れるワケでも、取るつもりも全く無しに、ただ口先だけでの定型的な謝罪を 「 心からお詫びします 」 等として表明する奇妙な行動は、それ自体が 「 日本社会に蔓延する行き過ぎた責任論 」 を更に肥大させかねない 「 極めて無責任な異常行動である 」 と指摘しなければならない。
不祥事を引き起こした当の本人以外の者たちが、何の本来的な責任も無いのに、( 社会に対して ) 勝手に横から謝罪 ( 責任を取れるワケでも無いのに謝罪 ) する …という何とも奇妙な風潮を、マスコミと一緒になって醸成するな …と言わざるを得ない。
考えてもみよ。
従業員が数万人もいる大企業でこれと同じような事件が起きたとして ( 実際にその社員規模だとそうした事はしばしば起きる ) 、その企業の従業員や役員や社長がマスコミにインタビューされて、彼らが 「 このような事は絶対に許される事ではありません 」 なんて、果たしてコメントしたりするだろうか? 或いは自身のブログにそんなことを書いたりするだろうか?
絶対にしない …と断言しても良いだろう。 する筈が無いのだ。
組織はそれが組織自体の起こした事件ででも無い限り、たとえ自社の社員が起こした事件であってもそれを 「 全体責任 」 で謝罪したりしないし、逆にもしそんな事を感傷ですればその事件のイメージが企業全体に伝染して企業イメージが悪くなるから、心を鬼にしてでも知らぬフリをし、企業に責任が無い事件でマスコミやブログ謝罪など、絶対にしてはならないのだ。
最も極端な例 ; 現職の警官が犯罪を犯したケースでさえ、その上司や警察自体が世間に対して 「 絶対に、有るべき事ではありません。 決して …許されない事です 」 などと、改まって畏まって警察の全体責任として謝るのを見たことがあるだろうか? ( 実はそんな不祥事はしょっ中有る、ので一々謝ってたら警察の面目と権威はそれこそ丸潰れである。 )
無い筈である。 余程トンデモない事件でもない限り、警察はそんな事をまず絶対にしない。
唯々、警察の名を汚したその警察官を何が何でも捕まえ、他の犯人よりもかなり厳しく取り調べるだけの事である。
( 2018.9.14. 追記 )
吉澤ひとみ事件現場に遭遇してた隣のクルマのドライブレコーダー映像を見て
( 少し以前なら、このような事件現場映像が裁判も始まらない内に世の中に公開される事など有り得なかったろうが、今の時代にはこうして事件そのものが晒し物になってしまうワケだ。 )
驚いた。 この映像を見るまではこれ程にも露骨な信号無視、かつ見紛いようの無い人身事故を起こしておいての、それを無視しての冷酷な走り去り ( 轢き逃げ ) 事件だとまではまるで想像出来てなかった。
このようなぶつかり方をしていたのなら ( 確かに一瞬ブレーキを踏んで止まり掛けてはいるものの ) 、この2人の被害者がもしもっと高齢であるか、或いは打ち所が悪かったりすれば、それこそ2人共が死亡、…という最悪の事故になっていたとしても全くおかしくはなかったろう。
2人共に直後に立ち上がれる程の軽症で済んだのは、本当に幸運 ( 不幸中の幸い ) だった、…としか言いようがない。
私は上の記事を書いていた段階では 「 運悪く一寸だけすり抜け損なって、自転車の前輪と接触してしまった 」 レベルの事故だったろう …と不覚にも思い込んでいた。
[ この映像での突っ込み方から吉澤ひとみ容疑者が実際にどういう運転をしてたか …を推定すると、信号が赤に変わって 6 秒後の衝突だから、時速 40 km ~ 50 km と推定される彼女のクルマは、信号が赤に変わってからの 6 秒間に凡そ 67 m ~ 83 m も走った後で衝突してる …ことになる。 つまり信号が赤に変わった瞬間に吉澤ひとみ容疑者のクルマは横断歩道の 67 m ~ 83 m も手前にいて、 6 秒間ブレーキを掛けずにそのまま突っ走って自転車に衝突したのである。 この事が何を意味するかは明白である。
恐らくは既にイベントに遅刻してるが故に焦ってて、この交差点の信号が青から黄色に変わったのを見て、何とか赤にならない内に突っ切ってしまうつもりで、片側 2 車線の内側を突っ走り、直前で赤に変わったものの、 「 自分のクルマが全然速度を落としてない 」 のが歩行者の目に入ってるなら、歩行者はたじろいで途中で止まり、そのまま内側車線位置にまでは入って来ない …と踏み、そこを突けば ( 信号で止められずに ) 上手くスリ抜けられる、と目算して交差点に突っ込んで行った …のだろう。 だが生憎、先頭の自転車は信号の青しか見ておらず、右側から猛スピードで突っ込んで来てる白いクルマが全然目に入ってなかった。
だからこそのあの信じられない光景となったワケである。
もし彼女がこうした暴走運転の常習者なら、暴走族のように警笛を鳴らしっぱなしにして自分のクルマに気付かせようとしたろうが、出来心故にそこまでは、気付かなかったのだろう。
絶対に事故に遇いたくない歩行者の立場からすると、交差点で信号だけを見て渡るクセが付いてしまってると、こんな風に考えて横断歩道に突っ込んで来る 「 キチガイじみたクルマ 」 にいつ轢き殺されるか分かったものではない …という理屈になる。 何とも恐ろしい事である。
但し、上と同じように 「 歩行者は自分の思惑通りに動く筈 」 との勝手な思い込みで、警笛も一切鳴らさずに歩道上の歩行者のギリギリをすり抜けようとする危険な自転車は世に蔓延してるので、吉澤ひとみの運転もそれと同種の意識で発生したモノなのかも知れない。 ]
無論、もっと更に凶悪な轢き逃げ事件を起こして被害者を実際に死亡させてしまった犯人にも基本的人権はあるのだし、マスコミによる社会的な制裁 ( 事実上のリンチ ) 行為は罪刑法定主義を標榜する法治国家として許されることでは全然無い。
だが吉澤ひとみ容疑者の、この撥ね飛ばし方を目前で見てて、判っていての冷酷な走り去り方をこの現場映像で見てしまうと、この事件の裁判結果を懲役 1 年 ・執行猶予 3 ~ 4 年位という弁護士の推測はまさに信じがたく軽い量刑のように思えてくる。 何故ならその程度の判決は 「 初犯の万引き事件が偶々起訴された場合の量刑 」 とも殆ど変わらないからである。
それだとついついマスコミやインターネットによる社会的な制裁 ( リンチ ) もやむを得ない、という事になりそうだが、吉澤ひとみ容疑者のような有名人でもなければ、このレベルの轢き逃げ事件を、テレビ ( や紙マスコミ ) が視聴率目的で連日取り沙汰し続ける …なんて事はまず起こったりしない。
だからやはり、テレビやインターネットでの社会的私刑 ( リンチ ) なんてのは元から駄目で、事件の悪質さに相応の量刑 …というのが本来の妥当な答であるべき筈なのだ。
断っておくが、私はハロプロ贔屓ではあるものの吉澤ひとみのファンでは元から全然無い。
ただ今回、元々の仲間たちからの ( 免罪符または踏み絵的な ) 「 謝罪 」 名目での 「 断罪 」 の連鎖に余りにも違和感を感じ、そのような発言をしてる元娘。OG たちを、以前までのように好きではいられなくなる気がしたので、敢えて上の記事をカンフルのつもりで書いたのである。
実際には、上のような意味合いで謝罪してるのでは全然なくて、単に 「 今回のことで色々考えました。 複雑な思いがあります。 ファンの皆様をお騒がせし、ご心配をお掛けして申し訳有りません。 」 という意味合いにとどめて書いてるだけの元娘。OG のブログでさえ、マスコミの見出しとなるとインパクトが優先で 「 ○○も謝罪 」 という無神経なモノになるから、その内容を一々確認せずに反応してるファンは、「 何で今回の事件で○○が謝るんだ?! 」 というトンチンカンなものにもなるし、ファン以外はもっとトンチンカンな感想を持つだろう。
今回のことで、上のマコト氏らの軽薄な発言からの連鎖で、少なくともブログ上で何か発言しなければならなくなった人の内、妙な謝罪や断罪ではなく、限定範囲内での発言に注意深く留めてるのは、私の見るところ 辻希美氏 と 和田彩花氏 ぐらいである …という印象を持っている。
もうこれ以上は、幾ら 「 吉澤ひとみ容疑者の行動が許しがたい 」 と個人的には感じていても、少なくとも公には、過去に本人の周囲に居ただけの人々が 「 踏み絵の如く謝罪言 」 を吐いたり、裁判官でもないのに 「 断罪言 」 を吐いたり、はして欲しくない …とつくづく思う。
そのようなことをすれば、それを言った方のイメージまでが一緒に汚れるのである。
無神経な紙マスコミやワイドショーのそそのかしに乗って、余計なことを口走ったりすれば、事件そのものとは何の関係も無い周囲の人たちのイメージまでもが、その発言で無駄に無意味に貶められるのである。
私は、最初に 「 謝罪名目の断罪言 」 を 「 正義 」 だと勘違いして口走った小川麻琴氏や保田圭氏や中澤裕子氏、そして元シャ乱Qのマコト氏らは、実に無思慮にその行為を踏み絵化した …と考えている。
( その故に 「 ○○は謝罪してるのに□□は何で謝罪しないんだ!? 」 などという、ただ非難したいだけの非難屋に難癖を付ける切っ掛けを与えてしまったのである。 )
そのせいで、まるで異端審問か魔女狩りのような、現在の光景となったのである。
自分が謝るべき事と、謝ってはならない事の区別がちゃんと付かないのは、吉澤ひとみ容疑者と同じく 「 大人の自覚が無いから 」 である …と気付いて欲しい。
以上
文責 うつぎれい