マデイラ島西南西のグーグル地図での矩形の海底地形は最初2009年頃にマークされ、
「アトランチスだ」と一頻り騒がれていたと確認出来たのだが、
2012年にグーグル地図が更新された際、
それは消えた…というまことしやかなウソが振りまかれているらしい。
実際には、より精細で整合性ある四角い格子状の地形は、現在も見られるのに…である。
( 現在でも見ることの出来るこの海底地形についての最新の分析を知りたい方はこちらへ )

どうやら、現在の公認科学の範囲内で説明のつきにくいものは全部
「人騒がせなクダラナイもの」と括って何も無かった事にして安心したい、
思考の組み換えを嫌がる ( 新しく勉強し直したくない ) 狭量な人々
( 似非科学者や科学教徒 = 既存科学の狂信者 ) の仕業らしい。

彼らは典型的な参照主義者・権威主義者で、自分の頭では何も判断出来ず、考えられない。
まさしく " 寄らば大樹の陰 " である。

そうした人々の代表格とも言えるのが、例の 「トンデモ学会」 いわゆる 「ト学会」 である。
彼らは自分の気に入らない認めたくない説や人々の一切を、
勝手に「トンデモ」とか「トンデモさん」と呼んで、マトモには対峙せず、
ワザと穏やかに嘲笑し、相手の説を茶化して面白がる…という何とも性質の悪い、
ずるい方法で異論相手を斬り捨てて来た。

ト学会がやってきた事の中でも特に許し難いのは、
雑誌ニュートン的な既存の公認科学へのほぼ絶対的な依存主義者である彼らが、
科学的方法論のみが唯一絶対であるかのような愚かな錯覚に陥って、
科学以外の形而上学や哲学を指して勝手に「擬似科学」とか「似非科学」と呼び、
その言葉をへらへらと垂れ流し、無知な人々の間にその言葉を蔓延させようとしていることである。

( ト学会中で唯一発言が公正だった故・志水一夫氏を除いて )
恐らく「ト学会」メンバーの大半は唯物論者なのだろうが、
再現性の有る比較的コントロールの可能な現象についてだけ有効である
科学の方法論以外の方法論の一切を、
平気で「擬似科学」や「似非科学」等と呼んでしまえる処こそが頭がオカシイのである。

哲学を始めとする形而上学は、
元々、科学的方法論が扱える範囲を超えた問題を捉える論理であって、
その論理性の部分で科学に似てるからとタカがト学会如きの幼稚な唯物論者どもに
「擬似科学」とか「似非科学」などと呼ばれる筋合いは元から無いのである。
いったい軽薄極まりない自分たちを何様だと思っているのだ?

ト学会やその追従者の吐く否定論に対して言っておかなければならないのは、
これまで既存科学で正式には認められていない現象や事実の肯定者に対して、
科学的な証拠を提出するようにと求めたいなら、
否定論を主張する場合にも同じく
科学的に確かな証拠を提出して論理的に否定しなければならないという事である。

にも拘わらず、
そうした事柄 ( 例えばUFOや超常現象や全く新しい説 ) に対して、自らがあたかも
現代科学全体の代弁者であるかの如く態度で否定するような人々は、
しばしば、単に「それが他の良く知られた現象である可能性もあるかも知れない」
と指摘しただけで、もう反論が成ったかのように錯覚している場合が多いのである。

冗談ではない。そんなのは唯、「自分は絶対そんな事は無いと思う」とか、
「自分は絶対そんな事が起こってる訳は無いと信じてる」と言ってるのと
まったく同じレベルの発言に過ぎないのである。
可能性を云々するだけで成るのなら、そんなものは少しも科学的な反論とは言えない。

自分は科学の代弁者のつもりだから、増長してそんな基本的な事も分からないのである。
寄らば大樹の陰を決め込む参照主義者や権威主義者というのは
皆そのレベルである。

つまり否定論者のそうした、否定的可能性に言及して相手の主張の足を掬うだけの
証拠や論証の欠落した安易な否定の仕方そのものこそが、
単に既存科学による微かな説明可能性に寄りすがるだけでもう防衛出来ている
・・・という世にも不思議な錯覚なのである。

つまりそれは、「後からやって来たのだから、挑戦者は "チャンピオンに絶対有利な判定条件" で
完璧に勝たない限り、チャンピオンベルトは渡さない」という
格闘技の世界のルールと同じである…ということである。
が、それは本来真実に対して真摯で厳正であるべき科学論理の世界にあるまじきやり方である。

格闘技と同じく既存科学にとってもパラダイムの変更は死活問題だから仕方がない…なのだろうか?

それこそが非科学的な態度そのものではないか?
それならば霞ヶ関の官僚主義と同じやり方ではないか?

その卑劣な否定論の論法を私は絶対に認めない。