島にきて
4年目
最初は 本当に大変だった
一緒に来るはずだった人も 来られず
時々来るはずだった母も 来られなくなり
予想に反して
ひとりで こんなにとおくの みなみのしまで
むすめと ふたり
くらすことになった
・・・
わたしは ときどき すごくさみしくなり
ときどき とても執着して
ときどき とても怒り
ときどき
じゃなく
とてもよく さみしくなった
そのことで すすまないこともあり
わかってるのに
わかってるはずなのに
できなかったことが いっぱいあった
でも 島には よろこびがいっぱいあった
しあわせも あたたかさも いっぱいあった
そのなかで 草花や 海や とおくにいるともだちや ははに
ささえられながら 成長していってたのだとおもう
*
4年目にして
わかってるはずのことが
わかってきて
こころのおく
どまんなかのまま
だいじにいきることができるように
もっと
もっと
さらに
なってきて
とうとう
超えた
・・・
家事が
こどものことが
PTAのことが
島の行事が
しごとが
ぜんぶが
ひとりでやるのが
たいへんなんだ
むりなんだ
だれか きてくれないかな
そうおもってることが
よくあったけど
ひとつずつ
ほんとうに だいじなことをしていったら
そのひとつ ひとつが
らくになっていった
ほんとうに ほんとうの こころのまま
していった
さいしゅうてきに
家事 しごと こどものことは
ぜんぶひとりは やっぱりたいへん
とおもってた
でも よろこびのほうが
おおきいから やるんだよ
しあわせだから
そのしあわせをまもりたいから やるんだよ
っておもってた
けど
いま
ひとつずつ おえていき
ひとつずつ てばなし
家事も
とうとう 楽になった
らくになるこつも わかってしまった
*
シングルママには なってみないと わからない大変さがいっぱいある
わたしは
養育費を もらえるはずの立場だったけど
争うことがしたくなくて
裁判をすれば勝てたけど
争うことは わたしのしたくないこと
愛してたひとを 裁くことを
敵とみなして たたかうことを
したくなくて やめた
・・・
そのぶん じぶんが 稼ぐ
ってきめて
もうすでに あのころ もし もらってたら?
を 想定して 浮かぶ金額は すでに稼いだとおもう
*
いつも うかんだアイディアや
こころのまんなかが かんじることをしていったら
わたしは どんどんかせげるようになって
まいとし まいとし 収入がふえつづけ
とうとう どうやっても おかねにこまらないこと
が わかった
どうしたら そうなれるか が わかったし
そこに だいじな宇宙の法則があることが わかってたけど
確信した
じぶんが すでに その場所にいることが わかった
・・・
島にきて
それをしてみた
さみしさにまけると うまくできなかった
でも くりかえし やった
こんなにとおくはなれた みなみのしまでも
その法則 その真理は
じつは おなじだった
おかねからも きょりからも おとこからも
こどもからも おやからも なにからも
じゆうになっていった
・・・
家事も してくれるひとがきたり
なんでもしてくれるひとが あいしてくれたりしたけど
あまりふかくあいしたいとおもうひとじゃなくて
すごくすてきなひとだったけど 友人になった
おうちをたてるといって
すきなことそこでしたらいいといってくれるひとは
今世のうちで たくさんいた
でも こころは ときめかなかった
だから いつも
わたしがすべてをやることになった
家事は つい最近までは やっぱり負担だった
でも
おうちのかたずけをして
食器をかたずけて
食器棚をかたずけて
ずっとずっと欲しかった作家さんの ティーポットと かっぷと ゆのみを揃え
たべたものは すぐかたずくようになり
せんたくも たまらない循環ができ
いま かじは すごくらくになって
すると しごとが たくさんできるようになって
さらに おかねが まわりやすくなった
*
おかねは わたしにとってうみだすものなので
時間さえあれば どんどんふやせる
だから どんどん 増やす循環がさらにできた
・・・
と
きょう 令和元年をまえにして
わたしも じぶんで 開いている遠隔ヒーリングを
うちゅうまんから いただいて
からだのなか ぜんぶに よろこびのスパークがおこるのをかんじて
そして すこししたあとに
わたし じゆうになりたかったんだ
って きづいた
そして
わたし ついに ほんとうに じゆうに なれた
って おもった
いろいろは あるけど
とうとう てにいれたんだ
いちばんほしかったもの
おかねからも
おとこからも
こどもからも
おやからも
家事からも
育児からも
しばられることない
規制されることない
がまんすることない
ただ
あふれるように
しゅんかんを いきるだけで
あいと しあわせに みちる 日々
なにからも じゆうな あいと しあわせを
わたし
やっと
手に入れた
それが わたしが ほしかったもの
だれかがいたら てにいれられなかったもの
いなくても
いないから
できたこと
とはいっても
いつも あいされているし
みんなから ささえてもらってきた
でも 生活の基盤や
土台を じぶんたちで きりひらき
ささえ
まもり
あいして
さみしさに たえながら
いつしか
さみしくもなく
ただ
あいにまみれて
いきることが できるようになったんだ
このせかいで こんなふうに いきられるなんて
なんて すばらしいんだろう
パートナーがいるから
じゃない
いても いなくても
わたしは だいすきな 理想どうりの場所に住んで
うみと やまに あいされて
かみさまに あいされて
とちに あいされて
こどもに 心底あいされて
親にあいされて
おとこのひとからも たくさん もとめられ あいされて
おかねからも たぶんあいされてて
それで
それらから
しばられずに
生きてる
やっと ここまできた
たどりついて わかった
わたし
なにからも じゆうになるために きたんだ
ここに
だから
そうだったんだ
ここからは
なにからも じゆうなうえで
だからこそ ほんとうに ピュアに あいして よろこびが スパークしまくることをしよう
わくわくする
いままでも ピュアに あいしてた
それだけは まもり だいじにしてきた
けど
もっっっっっと さらに 自信をもって
おもいっきり あいを うたうように
あいのまま
じゆうのまま
あいしあい たのしみあっていこう
なにからも
じゆうなまま
うたっていきよう