人工心臓『アンビリバボー』から | ミルキーウェイ(『拡張型心筋症』でも負けない!)

ミルキーウェイ(『拡張型心筋症』でも負けない!)

即興詩、エッセイ、世界情勢等
様々綴っております。


心臓移植に進行する不治の病です。

臨死体験後寿命宣告取り消され、まだ生きております。

あまりコメ出来ないかも?ですが、宜しくお願い致します("⌒∇⌒")


医療機器メーカー・東海メディカルプロダクツの創業者である筒井宣政さん


次女佳美さんは生まれつき血液を心臓に上手く送ることが出来ない心臓疾患 三尖弁閉鎖症を患っており、9歳の時に「現代の医学では手術は不可能」であり、余命は10年という最終診断を受けていました。それでも筒井宣政・陽子夫妻はあきらめきれず家業で貯めた2000万円を使ってアメリカでの手術を模索しますが無理だとわかります。


国や公的機関から研究助成金が受けられるように、昭和56年に株式会社東海メディカルプロダクツを設立。医療の知識も経験もなかった筒井宣政氏は会社を立ち上げたはいいものの失敗が続き8年の月日が過ぎていました。そこでようやく動物実験にまでこぎつけたものの実用化には数十億円もの莫大な費用がかかることが判明し、断念せざるを得ない状況でした。



そんな時、宣政さんIABPバルーンカテーテルの医療事故の話をよく聞いたそうです。当時、日本の技術では作ことが出来ず輸入品を使用しており、それが日本人のサイズには合わないため合併症を引き起こしていたのです。そこで、人工心臓開発で培ったノウハウを活かして、努力に努力を重ねて遂に平成元年の冬に国産初のIABPバルーンカテーテルの実用化に成功したことが今日、多くの命を救い、また研究を続けることが出来るビジネスの成功につながりました。





佳美(よしみ)さんは心臓疾患による合併症により平成3年12月(23歳)に亡くなりました。カテーテルでは難病を治すことはできなかったのです。しかし、娘さんからの一言「これからはその知識を病院で見かけた心臓病で亡くなる子供たちのために使って」、そして、「娘に使用しても安全な医療機器、カテーテルの開発を」という強い思いは「娘の為」から「患者さん」のために変わり、そして現在は当社の創業の精神・企業理念の「一人でも多くの生命を救いたい」という言葉の中に今も生き続けています。







本当に…泣けました!

私事で申し訳ありませんが、佳美さんとは異なる『拡張型心筋症』のわたしも『人工心臓』登録しています。

そんなに大変な開発とは、知らずにいました。

今では、人工心臓も保険が効くようになりました。有り難いですね!


色んな人達の!
悲しみや前向きなこころが産んだ『バルーンカテーテル』


何とも言葉がありません。

コメいいねをありがとうございます(⌒‐⌒)
返信遅れや、すべてのいいねをお返し出来なくて、ごめんなさいね。

おやすみなさい(-.-)Zzz・・・・