セラピストさんやヒーラーさんには、「他者を救いたい」という想いがあると思います。
また、そういった職業を掲げていなくても、この「他者を救いたい」という想いがある方も多いかと思います。
覚醒体験をした後「はじめから救われていた。その事に他の人も気づいて欲しい」という想いも、上の「他者を救いたい」という想いの変化形です。
で、この「他者を救いたい」という思いの動機となる考え方ですが
その方の意識のレベルで大きく二つに分けられます。
① 自分自身への「無価値感」があり「他者を救う」事でその「無価値感」を埋め合わせようとするモノ。
② 自分である事に幸せを感じているんだけど、「自分ばっかり幸せ」である事に「罪悪感」を感じていて、その「罪悪感」から「他者を救いたい」という心の動きが生じるケースです。
覚醒後にコレに嵌まる事がとても多いです。
①のケースの場合ですと、「救えたら○で、救えなかったら❌」という怖れをベースとした考え方にほぼなってしまいます。
で書いたようにその「救いたい」という想いが「怖れ」を土台とした「切望」になってしまい、それによって生じる「執着」から引き寄せを起こし難くしてしまう。というメカニズムもあります。
このケースの場合ですと、他者を救うよりもまず先に自分自身のネガティブな観念を癒す 。という事が大切です。
自分軸がブレますので、他者のネガティブなエネルギーや波動を「貰いやすく」なりますので。
「他者を救いたい」という心は、自分自身の「無価値感」が生み出している。と自覚してまず自分を癒す。「癒された『自分』」を引き寄せる。
コレにつきます。
②のケースですが、気づき難いのですがこのケースも土台となる考え方(観念)は「無価値感」なんです。
覚醒体験をしても二度目までの体験ですと
大霊(サムシンググレート)と神の子としての自分(真我)という体験ですので、エゴは「役に立たないと大霊に『見捨てられる』」というような思考を生み出します。
(三次元レベルでは、「親に見捨てられる」というトラウマで表れたりします)
三度目の覚醒体験から、梵我一如を体験しますので、この「怖れ」は薄くなります。
(完全には消えないのでは?と考察しています)
で、三度目の覚醒体験(不還果)で「激しい怒り」が消える。と書きましたが、その「激しい怒り」の正体は「激しい怖れ」です。
三度目の覚醒でこの「激しい怖れ」が消えます。
大霊から分離して(自分から別れて)、自分が神である事を「あえて」忘れて、この物質世界(幻想世界)に「遊びに来た」のに
その分離して「忘れた」事がトラウマとなって「激しい怖れ」を生じさせる。という
最大のPTSD で書いたように、PTSDの症状が表れている。と捉えて下さい。
で、このケースにハマった場合でも、絶対に自分を責めないで下さい。
(エゴの戦略ですから)
ある種の如来様 薬師如来様とか阿弥陀如来様って「全ての衆生を救う。もし救わなければ、悟りの境地から退く」という誓願をして如来様になった。とされています。
で、この「誓願」って「まず自分を愛する」という視点からズレているんですよ。
自分軸が他者(外界)に置かれていますし。
ですので、これ等の如来様に
「如来様がたてられた誓願は立派ですが、『自分を愛する』という視点からですと、『自分を愛していない』と思います。ですから『常に』悟りの境地に居続けて、その上で『救いたい』からという理由で全ての衆生をお救い下さい」
と願っちゃいます。
まぁ、如来様も「救って下さい」というような願いは多いとは思いますが、如来様自身の事を願われる事って、そうは無いだろ っていうユーモアでもあります。
また、他者に対しての願いは自分にも帰って来る。という法則を利用したモノでもあります。
もし、「救わなきゃ」という思いに囚われたとしても、「如来様ですらハマってしまうワナだから、自分がハマっても仕方ないよね」と自分を「許して」下さい。