一般的(?)に言われている次元上昇とかN次元とかの高次元をよしとする視点とは真逆なので、受け入れにくいかもしれません。
その場合でもそういう視点を持っている人いるんだな。くらいに捉えて下さい。
物質界つまり今いるこの世界です。 三次元です。
ここには時間軸と愛の軸と怖れの軸の三つの軸があります。
時間軸は軸の一方が過去で、一方が未来です。ゼロが「今」です。
愛の軸は、一方が愛で一方が感謝です。
怖れの軸は、切り口によって変化するので幾つかの切り口を書きます。
以前にも書いたように、「安心」をテーマ(切り口)とした場合は、一方が「安心」で一方が「不安」です。
「優越感」をテーマとした場合、一方が「優越感」で一方が「劣等感」です。
優越感自体が怖れの軸の上のモノで、「無価値感」を土台としています。
これは、以前にも書きましたが、また別記事で書くつもりです。
「承認欲求」をテーマとした場合、一方が「満足」で一方が「不満」です。
「承認欲求」の心の働きの「目的」を内観すると土台となっているモノが「怖れ」であり自身への「無価値感」だと気づけると思います。
「怖れ」の軸が幻想だと気づいて、それから離れた時、覚醒したりしますが、ここでは「怖れ」の軸上のモノは幻想に過ぎない。と頭での理解でOKです。
大霊・サムシンググレート・ブラフマー(日本的にはアメノミナカ主)と真我・内なる神・仏性・アートマンの世界。
自分が神の子であるという体験の中、大霊・大いなる一つを観る。という視点。
これが2次元。
時間軸と愛の軸の二つの軸だけ。
「怖れ」や「エゴ」が生み出す彩りも無い世界。
白光の中にいる世界。そしてこの世界に飽きて「怖れ」や「エゴ」を生み出した。
白い光しか映らない画面を見続けてたら飽きてしまう。という感じ。
愛の軸の一方は「愛」で大霊よりの視点。もう一方は「感謝」で真我・アートマンよりの視点。
愛と感謝は同じ軸上で、同じモノの違う側面です。
三次元より2次元の方がいいもたいな書き方だと、二次コンとか言われそうだけど、理解しやすいように書きました。
大霊だけの視点。
自分が神の子であると同時に神である。とか
梵我一如とか、アートマン=ブラフマーという体験を通しての自分が神で自分の世界は自分が中心となって創られている。という視点。
(もちろん他者はその方が中心となってその方の世界を創っています)
自身を客観的に観るモノ(真我)が幻想だと気づいて消えた状態なので、愛の軸が消え
ただ「愛」だけになります。
存在する軸は時間軸だけ。
過去も未来も幻想で(時間という幻想)
永遠に続く「今」
これが一次元。
そして、時間が幻想で、「今」というモノも幻想だと気づいて時間軸も消えた世界。
XYZ軸の全てが消え、ゼロの点。
0次元(ゼロポイント)です。
この次元は変化もなく、全てが畳み込まれているといえば畳み込まれているし、無だと言えば無。
そして「愛」でもなくて、表現できない感じなんです。
究極は「愛」ではない。というと炎上しそうだけど、まっいっか。
表現できないんよ。この感じ。
少し前まで、覚醒体験を重ねていても、このゼロ次元に長時間アクセス出来ませんでした。
自分がぶっ壊れる気がして、息を止めている位の時間が限界でした。
世にある覚醒や悟り、ワンネスについての情報は、これらの次元の情報を分けていないため、体験していないとより分かりにくいかと思っています。(情報によっては次元が変わると相反したりもしますし)
で、とりあえずは真我に目覚める。を一つの目標(チェックポイント)とすればいいんじゃないかな?と思います。
ゼロ次元に意識合わせても、この三次元世界では特に御利益ないかもですし。正気を保てなくなるかもです。
研鑽マニア(研鑽する事自体が喜び)とかの変わり者以外は、目指しても梵我一如あたりがコスパが良いかな?と思います。
○次元とかで数字が多いほど偉い。みたいな、他面筆箱で面数が多いほどいい。(古いなぁ)みたいな風潮に一石を投じたかった。というのもありこの記事を書きました。
ビックバンへさかのぼる感じで書きました。なんらかの理解の助けになれば幸いです。
真我に目覚めるために。といって二次元・・・からコミケ行ったり秋葉原に行ったりする場合も、自己責任でお願いします。