今回は『優越感』ゆえに、おちいる罠について書かせていただきますね。

「優越感」とは「他者をあざ笑う」ということと同義なのです。
そうしますと、「優越感」を持つことににより、自身が「転落」してしまう、波動を下げてしまうことになる、ということがお分かりいただけると思います。

「優越感」と「転落」という面はセットでして、

これは、六道輪廻の「天上界」が輪廻から脱していない、という比喩的な伝え方でも可能かと思います。

(鑑注:六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教 において迷いあるものが輪廻 するという、6種類の迷いある世界のことを言います。
六道とは以下の通りです。
天 道(てんどう、天上道、天界道とも)
人間 道(にんげんどう)
修羅 道(しゅらどう)
畜生 道(ちくしょうどう)
餓鬼 道(がきどう)
地獄 道(じごくどう) (六道 – Wikipedia より)

一時的な「優越感」を持っても変化する外界の中では、その「優越感」は必ず「劣等感」や「不足感」を伴うことになってしまいます。

「優越感」自体が「怖れ」に根差した観念で、エゴの世界の波動域である上、エゴの世界では「無価値感」が土台ですので、

「無価値感」を持ったまま、外界の何かを得て(Get )も、一時的に「無価値感」を薄れさせるだけで自分自身への「無価値感」は残ります。

○○だから自分に価値がある。
という「条件付き」の価値で○○は、常に変化し続ける外界に存在している以上、その価値も当然変化してしまうのは先ほど述べた通りです。

エゴの世界では「優越感」は怒りや罪悪感よりも波動が高いので「優越感」を求めてしまいます。
また、エゴも巧妙なことに、「優越感」を求めるように、私たちに仕向けてきます。

しかし「優越感」はエゴの世界・「怖れ」に根差した世界の波動なので、他者(外界)を「許せない」という状態で「自分の方が魂のレベルが高いから」許してあげる。

というスタンスをとる(そう、仕向けられるのが常なので)、と「許し」の波動域までその影響は及ぶために、この「優越感」自体が波動を下げる事になり「許し」が起こらなくなります。

気を付けなくては成りませんね。

エゴの罠なのですが、このメカニズムから「優越感」自体を手放そう、とする事が私達自身への救いとなります。

「優越感」という観念に「執着」していれば、「許し」のプロセスが起こらないのですが、実は「許せない」という状態の中にも波動を上げる種があるのです。

光が見いだせましたでしょうか?

陰陽の(太極図)の陰の中と陽の中の点をご覧下さい。

どんな状況の中にも、例えれば陰の中の陽のように、状況を好転させる種がある。またどんな良い状況の中にも、やはり陽の中の陰のように、罠があるのです。

「優越感」を手放そうと決めると、「優越感」以外のエゴの波動も本人はイヤなもの、不快なものと感じ始めますので、エゴの影響からの脱出のスタートと成ります。

小さな気づきを重ねながら、より自分自身を上げていく事に意識が向かうようになりますからね。

そうなれば、しめたものです。