『サレ側の原因と責任』を書くきっかけとなった
モラハラ被害者の不倫ブロガーとの顛末を報告します。
ご存知の方も、そうでない方もおられると思いますが
複数のメッセージを頂いていていることから
関心が高いと思ったことと
自分で記事をあげたので
書く責任があるんじゃないかと思ったので。
本篇がちっとも進まなくて申し訳ないです←逃避
『不倫シタ方が100%悪いのだろうか?』という問題提起。
その内容に憤慨し自分のブログを書いた後、
それを書いた彼(モラ被害不倫ブロガー)とコメント欄で
やり合いました。
結局、お互い譲らず平行線で終わったのですが・・・
終った。と思っていたところ
彼から謝罪のメッセージが送られて来たのです。
ビックリ!
私を懐柔しようとしているんじゃないかと思いました。
彼の謝罪には妻の口添えがあったそうです。
癒される必要がある人もいる。
傷ついた人同士が、傷つけ合うのは痛々しい。
彼は、書いた記事が反論され、受け入れられなかった。
もしもあなたを傷つけてしまったのならば謝罪します。
ごめんなさい。
そして
シタ側にも切実な事情がある。
自分達のブログを見て欲しいとも書いていました。
それに対し私は、それは私だけではないこと。
サレ側がどうして他人から見たら不快と感じるような
記事を書くのか。
その苦悩を簡潔に書き連ねました。
これ以上傷口に塩を塗るようなことを書かないで欲しい
ともお願いしました。
その翌日、彼の謝罪・訂正記事があげられました。
こちらの気持ちを汲んでくれたのだと思いました。
その後もメッセージでのやり取りは数通ありましたが
コメント欄でのやり取りから薄っすら感じたことを書きます。
私、はじめて彼のブログを読んだとき、
彼は『サレ側』批判をすることで
自分と同じく、サレ側の逆の立場である
『シタ側』の人を集めたいのではないかと考えていました。
でも、やり取りを繰り返す中で
それは少し違うのかもしれないと変化してゆきます。
彼は『任務』『癒す』『善』『悪』『立場』『真価』という
シタ側ブロガーには見られない文言を使う。
他にも「悪を炙り出す」とか「糾弾」とか
「神」と「人間」の在り方についても。
過激な言葉を用いながらも
コメントの返信は内容はともかく、とても丁寧だし
こちらの峻烈なコメントも殺さず取り上げてくれる。
よく我慢しているなぁと思ったし
真面目じゃないの?って思った。
メッセージの中にも、ブログの中にも
『傷ついた人を癒したい』との言葉が何回もあった。
サレとシタの垣根なく
「ただ傷ついている人の助けになりたい」ということだ。
多分、彼の『任務』はそれらを可能にする世界を
具現化すること?
そんな私の印象について彼は何も語らなかったが
彼が自分の定めた目的のために
特異な言葉を使用すると考えると
そう外れていないんじゃないかなぁ?
「傷ついた人を癒したい」そうした志は見上げた人だと思う。
それだけだったら、批判する人はいないだろう。
彼が間違えてしまったのは
「不倫をした私」というものを
他人がどう見るかというところ。
彼は立場は関係なく
必要としている者には届くのだと言うけれど・・・
それは害のないむしろ益になる事柄ならそうであっても
「傷つけた側」と「傷ついた側」つまり
対局する立場「害する者」と「害される者」
であればその言葉は受け入れられないだろう。
たとえ尊い志であっても、
その志のために「害した側」から説教されても
説得力はないし反発されるだろう。
もっと分かりやすく言えば
【モラハラ被害者】が【モラハラ加害者】の言葉を
有難がるだろうか?
他には、浮浪者が成功の秘訣なんてものを
伝授しても説得力はない。
立場や肩書というのはその人の生き方を反映させる
一面がある、だから言葉に説得力を持つ。
立場なんて関係ないと思うのなら、
他人から見える自分が見えないのと同じ
それは裸の王様だ。
人を癒すなら人の言葉に敏感にならないと。
彼の人物像がよく見えなくて私はいろいろ考えた。
頑なに「立場」は関係ないと云う。
多分だけど
彼は立場ではなく、『自分とは何者であるか』
が大事なんじゃないかと・・・・
そういう自分を見てくれ感じてくれということかな?
そう捉えると彼に悪意はなく、
純粋に善行をしたい
傷ついた人を癒したいと云う言葉に真実味が出てくる。
これは自分にも言えることだけど
行き過ぎた正義感は暴走する。
正義を振りかざせば暴力となる。
正義は自分の中にあればよくて
押し付けるものではない。
夫との不倫の攻防で思い知ったことだ。
彼の『悪を炙り出し』、悪認定して切り離す?
それは
被害者のために加害者と似非を退けたい
とのこと。
愚直に自分の正義を行使する方法が
悪を炙り出すということだった?
でもそれは暴走じゃないか?と私は思う。
彼の考えを含みながらも
やはり私は自分の立場でしかものを言えない。
私は人の傷を癒すのなら
否定せず、批判せず
その人の中にある苦しみを知ることだと思っているから
そこに加害者や似非の存在を置かない。
責め、糾弾することは
それぞれの立場を浮き立たせるだけで
立場を超えた関係などつくれない。
それでも
彼が、シタ側にも切実な事情があると書くところ。
高いと思っていた自分の倫理観を破ってしまった苦しみ。
許されないと思っている人達の苦しみ。
その言葉は生々しい彼の心情であり「善」だと思う。
不倫をしたことで苦悩する姿は、サレ側から見れば
自業自得と映る。
でも、その痛みを知り
力になりたいという人間がいてもいいと思う。
そして彼が描く世界から、捉える事象というのは
凡人である私とは感覚が違うのだと感じている。
だから、彼の云いたいことがよく分からないし
すれ違う。
価値観も世界観も違うと。
私は彼が悪意をもってサレを責めたのではない
という言葉を信じようと思う。
志があった。でも、やり方を間違えた?
そんな風に理解し
それが分かれば十分だと思った。
なので彼について言及することはもうないだろう。
彼は彼の世界を生きればいいと思う。
そこにサレは関係ないことを願うばかりだ。
これをまとめるにあたりメッセージの使用など
彼からは快諾していただきました。
ありがとうございました<(_ _)>
これが、私が彼と接点を持って得た感触です。
あくまでも私観ですので
違う。懐疑的。と見る方がいて当然だと思ってます。
尚、この件ではいくつものメッセージを頂きました。
そうした意見は大いに私の助けとなりました。
ありがとうございます<(_ _)>
メッセージのお返事が滞っていますが
先にこちらで見解を書かせていただきました。
今しばらくお待ちいただければと思います。
疑問符だらけの報告を
お読みいただいてありがとうございました。