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72:名無しさん :2012/08/28(火)
>>70
依存は自己愛であり、自己愛だとどうなるか。
自分=相手であり、自分がしたいことは相手もしたい、自分が嫌なものは相手も嫌と、
それぞれ価値観や考え方が異なることに思い当たらなくなります。
それが本当に全く同一の価値観のまま一生変わらないなら上手く行きますが、
同じ人間ではない以上どこかで違いが生まれます。
そうなると、自分と同じでなくなってしまった相手は自分と同じ気持ちじゃなくなった、
つまりもう愛情が冷めた、嫌われたと思い込みます。
そして自分と同じ価値観を相手に強制し、相手が従えば愛されていると満足します。
そこには相手と自分を個として認めるという考えは存在せず、
自分が望まないことを相手が望んだりすることはあり得ないので思いつきもしません。
自分がくっつきたいのであれば相手はくっつきたい。
自分は愛しているなら相手にお金を与えてるが、お金をくれない相手は愛してくれていない。
自分=相手という思い込みから抜け出せない。
周りが見えている・見えていないではなく、
同じ気持ちでも人それぞれに感じ方・考え方・表現の違いがあることを認められないのが依存だと思います。
あくまでも個人的な考えですけどね。
73:名無しさん :2012/08/28(火)
恋愛感情は薄れても、
彼女が元彼と会ってなにしてるか分からないと嫉妬するのはなんなんだろうか
74:名無しさん :2012/08/28(火)
本当に自立してたら博愛だろうよ。それだけでいいよ。
そこにわざわざ特別な誰かとの関係を作るんだから、それは単純に純粋に愛だけの話にはならんよ。
結婚になれば余計そうだと思うよ。色んなしがらみが出来る。責任も出来るわけで。
簡単に、はいさよならってわけにもいかない。
75:名無しさん :2012/08/28(火)
>>74
相手と自分は同一ではないと認めた上で、誰かひとり、特定の人間を選ぶ。
どこか似通った、それでいてどこか異なるからこそ支え合える。
確かに理想ですが、誰にとっても実現不可能なことではないですよね。
また、この場合は自立した愛情であっても誰か特定の人を愛しているので、博愛とは大きく異なります。
76:名無しさん :2012/08/28(火)
>>75
誰か特定の人を愛する必要はあるのかってことですよ。
依存してるところが全くないかって話ですよね。
支え合うのもいいですよ。
でもそれって依存してるところがあるってことでもあるんじゃないですか。
77:名無しさん :2012/08/28(火)
>>76
私が言う「依存」は恋愛としての依存であり、
「共依存」と呼ばれるものに違いものをそう読んでいます。
あなたの言う「人は誰かに頼ることで支え合えることができるよね」といった「社会的な依存」は、私がここで言う恋愛的共依存とは異なります。
むしろ社会的依存は「個の認識に基づく信頼関係」であり、私の言う恋愛依存とはむしろ対極に位置するものです。
依存という言葉にも色々な意味があると思います。
私はあくまで「恋愛的共依存は自己愛である」と言っているのであり、
あなたの思う「良い依存」を否定しているわけではないので、安心してください。