昔々、仕事で大変お世話になった先輩がおりました。
昔勤めていた会社では「とにかく先輩の後ろをどこまでもついていき一部始終を学ぶ」
という研修方法がとられていました。

先輩は私がいくら質問してもウザそうにする気配もなく、何でも知っていて
「この人についていけば間違いない」と思わせるオーラがあった。
もしかしたらこれを「カリスマ」というのかもしれない。

先輩に悩みを相談したとき、
「物事にはいくら考えてもわからない時期がある。答えをそんなに急ぐ必要はない」と言われた。
パズルのピースが一つしかないのに、どんな絵が描かれているか理解しようとしても無駄だというのだ。
一つずつゆっくりピースを手に入れていくうちに、いつか必ず答えが見えてくる。

私はある日突然、昔の疑問が解決することがある。
その度に私は「ピースが揃った」と思う。

会社を辞めてからもしばらくは、先輩の教え通りに仕事をしていたように思う。
今では連絡も取っていない。ただ、先輩が作成しているブログだけは今でも時々みたりしている。

しかし、ある時期から一向にブログが更新されていないことに気づいた。
私も年中ブログをチェックしているわけではないので気にもしていなかったが、
久しくしてブログが更新されたとき、先輩の友人が亡くなったこと、
それが原因で何もする気が起きなかったことなどが綴られていた。

その文中にあった言葉
「全ての出来事には意味がある」
正直言って私にはこの意味がわからない。

今年、私の周りには親類を亡くした人が多かった。親を亡くした友人は酷く落ち込んでいた。
私はこの手の話がとても苦手である。
勉強不足が露呈して冠婚葬祭がらみの挨拶は何をいっていいのかさっぱりわからない。
「お悔やみ申し上げます」という言葉を使ってしまったら、私の引き出しにはもう何も残っていない。

しかし、仮にも電話の向こうは私の友人。
「お悔やみ申し上げます」なんて他人のいう言葉じゃなかろうか。
私は無礼を承知で言ってみた。
「ある国では葬式のとき、死んだ人がどれだけいい人だったとか、
どんな面白いエピソードがあったかなどを話し合い、パーティのように楽しく過ごすそうだ。
涙流して悲しむのも、笑顔で思い出のように語るのも残された人次第。
親の死がどう解釈されるかは、あなたの感じ方次第だと思う」
両親が健在な私がかなり生意気なことを言ってしまったと後で相当後悔した。

「全て出来事には意味がある」
もしそうだとしたら、この文章にも意味があるというのだろうか。
先輩の話が全く関係ない人に伝わって意味が生まれたのだとしたら、この言葉は正しかったことになる。
でもたぶん私は、この言葉の意味を測り損ねている。

今の私は先輩を元気付ける言葉を持ち合わせていない。
でもいつかピースが揃って、私にもわかるときがくるかもしれない。
研修で教わった先輩の言葉をなぞってきたように。
今はまだ「お悔やみ申し上げます」しか言えないけれど。