私の兄は、野球部のピッチャーでした。
実家でキャッチボールをしたとき、
兄の投げた球は速すぎて取れなかった。

そのあと、兄はわざとやさしい球を投げ続けた。
きっと「私には取れない」と思ったのだろう。

本来なら「気を使ってくれて、ありがとう」なのだろうが、
兄が私を心配したり配慮したりする行為は、
私にとっては侮辱なのである。
それならまだ罵倒されたほうがいい。

たかがキャッチボール。されどキャッチボールである。


映画の題名になっている「バッテリー」とは
充電のバッテリーではなく、
野球のピッチャーとキャッチャーの事。

剛速球を投げる原田は、キャッチャーがその球を取れないことを知り、
速い球を投げることをためらってしまう。
お互いを信頼できなくなったバッテリーはやがて解散してしまう。

昔、「キャッチボール屋」という映画があった。
街中のサラリーマンを相手にキャッチボールの相手をするだけ。
10分100円。

なんでこれが職業として成り立つのか?
なぜ、サラリーマンはお金を払ってキャッチボールを頼むのか?
それは「キャッチボール」に運動以外の何かがあるからでは?

原作がベストセラーなだけあってとても感動します。
野球をやりたいけど、体が弱くてできない弟が登場してくるけど、
こいつがまた泣かせます。可愛すぎですよ。この弟。
お暇なら見てよね。


(動画)