将門公といえば、有名な「首塚(くびつか)の祟り(たたり)」です。

首塚とは戦死者の首を埋めた墓の事。




明治維新が成って新しい政府が発足した頃。

「江戸」も「東京」と改められ、江戸の代名詞でもあった武家屋敷は取り壊され、

文明開化の明治らしく、洋風な造りの建物が建ち始めました。

「将門の首塚」のあった屋敷も取り壊され、大蔵省の新庁舎が建てられましたが、

将門の祟りを恐れ、新庁舎の一画にそのまま保存されることになりました。


そして時代は大正時代に。

関東大震災」によって、大蔵省庁舎は崩壊。

これがきっかけで、大々的な区画整理が行われました。

首塚は掘り起こされ、取り壊された挙句、その上に仮の庁舎が建てられました。

その後、怪奇な事件は、間もなくして起こります


大蔵省内の役人や工事関係者が相次いで死んでいったのである。

わずか2年間の間に「取り壊しに関わった人間」が14名も死亡した。

けが人は後を絶たず、それもなぜか「」を負傷するものが多かった。

人々は首塚を足で踏みつけにした祟り(たたり)だと考え、

結果的に仮の庁舎は取り壊されました。


時代は変わり昭和15年。

豪雨の中、突然大蔵省に雷が落ちて、瞬く間に庁舎は炎上した。

落雷の場所は、なんと首塚の目の前。

奇しくもこの年はちょうど、将門没後1000年に当たる年でした。




そして戦後。

空襲により、焼け野原になった日本。

アメリカ軍によって焼け跡が整地され、またしても首塚が片付けられました。

おめでたいことに、この場所にプールを作る予定だったらしいのですが、

整理している際、ブルドーザーが横転し運転手が死亡

横転した真下には、やはり首塚がありました


除去しようとしたアメリカ軍に日本人が説明を繰り返し、

さらにはマッカーサー指令にまで懇願し、

首塚は残されることになりました。


その後、首塚は千代田区の史跡に指定され、

今もなお存在しているのです。



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