毎日日中は起きるのが怖くて泣いて町役場の支援課の方に電話して、自分は何も食べず授乳の激痛に耐え夜中の授乳対応。

部屋をウロウロして泣き声を聞くのが辛くて泣くと耳を塞いで声がなるべく自分の耳に届かないようにしていました。もちろんこの頃は我が子を可愛いと思えず…でも、その可愛いと思えないのがダメなことなんだと思って「この子は可愛い、この子は可愛い」と自分に言い聞かせていました。

何も食べずに授乳をしているので私の体重はどんどん減ってき、支援課の方からこのままだと体重はどんどん減っていくと言われそこで「あー、このままじゃ体が壊れる、死んじゃう」と思って1ヶ月検診のときに完ミにすることを決意しました。最後の授乳を産院でして、母乳をとめる薬をもらいミルクに移行しました。ミルクにしてからは食欲は戻り痛みからも解放されましたが、それでもやっぱり我が子の泣き声が怖いのは変わりませんでした。

どうしても治る見込みがなかったので実家の近くに住んでいた妹に我が子を託して面倒をみてもらうことにしました。それからは行きたくないけど行かないとだめな気がして、触れ合いだけはしとこうという気持ちで妹の家に通っていました。ほぼ屍のような感じです。この時はどうやって自分が笑っていたのか、外出するときどういう基準で洋服を選んでいたか…日常生活をどう過ごしていたかわかりませんでした。

同時に精神科にも通わないと行けなかったので病院探しもしました。最初に行った病院は少し大きな所で女の先生でした。一通り症状などを話して「とりあえず夜寝ましょう」と言われ睡眠薬をもらいました。が、私が寝たら誰がこの子を見るんだ。お母さんだってそんなに若くないし日中も仕事をしているのに…と思い、結局睡眠薬は飲みませんでした。この病院は自分に合わないなと感じたので別の病院を探しました。