VSうつ

VSうつ

母と「うつ」との闘病記をかつて自らも「うつ」だった

(今は完治)「私」が綴る。

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 「投薬治療終了!!母のうつは完治しました!!」・・・


と、次は書くつもりで、一旦このブログの更新を止めた。


しかしそんなに甘くない、どうやら母の「うつ」は再発してしまったようだ・・・


1月の退院から5ヶ月、母は以前の母に戻っていた・・・


しかし、6月に歯のインプラントの埋め込み手術を行い、体力が低下した事が


引き金となってまた、歯車が狂いはじめた・・・


正直どうしてあげたら良いのか分からない。


主治医によると、急激に動きすぎたための「ゆり戻し」なので心配する事はないと言うが・・・


今日現在、母の調子は悪い。ただ、入院時の様に、食欲がなく食べていない訳ではなく、


むしろ、良く食べている。本人曰く、希死念慮はなく「認知の歪み」もないと言う。


今の症状は、やろうと思うことが出来ない「意欲の低下」だけであるようだ。


しかしこれが厄介で、本人はやろうとする事が出来ないので、追い詰めてしまい


落ち込み、更なる「意欲の低下」を招く、完全な悪循環である。


カラ元気を装い、ため息を付きながら無理に家事をする母は見ていてとても辛い。


主治医によると、とにかく休養が必要との事、なので母に休むように諭すが


なかなか、言うことを聞いてくれない。


人間が出来ていない私は遂「寝とけ!!」と怒鳴ってしまう・・・


普通、主婦のうつの場合家事をしないことを家族などになじられる事が多いと言う。


母のように、家事をするなと怒られるのも珍しいのではないか。


 実は勤めていた会社が倒産したため、私は失業中で最近はほとんど家にいる。


母は強く否定しているが、私の存在も母の負担になってしまっていたのだろう。


父も私も、どうして良いか分からず、母を怒鳴ってばかりいる。


そうする事は母にとって決してよくない事はわかっている。


しかし、父も私も疲れきってしまっていて、どうしたら良いかわからない・・・


家の中の雰囲気も非常に悪い、「負」のエネルギーで満ちている感じがする・・・


正直、母を良くするには家事から引き離すため再度、短期での入院も選択肢かなと考える。


とりあえず、明日主治医の所に行くつもりだ。

退院してから2週間、今日も母は元気である。


食欲がありすぎて、食べ過ぎているのが最近の悩みらしい。


最近の母は、以前のようにエネルギッシュに動き回っている。


3か月前がまるでウソのようだ。


一昨日は通院日だった。主治医によると「経過は良好」だそうだ。

 1月4日の夕方、入院中の母から自宅に電話が入る。


週末までの4日間外泊許可が出たので今から迎えに来いという。


父と共に自宅から車で1時間程の病院に向かう


病院に行く前、ホームセンターにより、念のため自殺防止のための窓のカギを買う。


当初は、外泊の手続きをするために来て欲しいと言われていたのだが、


病院に行くとすでに母が手続きを済ましていた。


それから約一時間後、約3週間ぶりに母は生きて帰宅した。


帰宅するなり母は、食事の支度をし、親戚に電話で外泊の報告。


その後、お正月におせち料理を届けてくれた、近所のおばちゃんの所に報告を兼ねてお礼に行っていた。


また、それから帰宅後間髪を入れず病院にお見舞いに来てくれた同じマンションのおばちゃん家(2軒)に


お礼を言いに行った。母が帰宅したのは、それから1時間半ほど後だった。


 時間は夜の11時になろうとしていた。それから程なく母は眠りについたのだが


入院前のようにうわ言を言う事もなく、無論早朝、窓際に立つ事もなかった。


翌朝、私が目にしたのは丼一杯のおかゆを平らげている母の姿であった。



それから、3日間母は、普通に(と言うか以前以上に)家事を完璧にこなした。


日曜日の夕方、外泊期間が終わったので母を病院に送って行った。


しかし、帰宅後すぐ母から自宅に電話が入る。


「差し歯が外れた、自宅近くの歯科でしか治療で出来ないので、明日迎えに来て欲しい」という。


翌日朝一で、病院に迎えに行きまた翌日、歯科での治療を終えた母を病院まで送って行く。


その日の夕方、仕事中だった私の携帯に母の携帯から電話が入る。


退院が決まったらしい。私は翌日仕事が終わってから夕方に迎えに行くと言ったが、


母は「病院おっても退屈やから、早く帰りたい、朝一に来て欲しい」と言う。


仕方なく翌日、朝一で迎え行った。


退院から今日で4日になるが、母は極めて普通である。


しかし、投薬治療は後半年は続く。それが終わるまでは油断出来ない。


でもとりあえずは一安心である。


とにかく、入院させたのは正解であった。







 元旦、昼から父とともに病院に向かう。


近所の方からお見舞いにと頂戴したカステラと、母リクエストのみかんと週刊誌を持って行った。


今日も母は病棟の入り口で待っていた。


笑顔で立つ母の姿に私は驚いた。


なんと、化粧をしていたのである。


母によると、最低限の化粧品だけは持って来ていたらしい。


今日も母は一人で話していた。


母によると昨日は紅白を見ていたらしい。


テレビ見れるまでになったか・・・私は回復を確信した。


今日も母は下まで見送ってくれた。

クリスマスの25日、父とともに病院に向かう。


今日も母は病棟に入り口で私達を迎えてくれた。


母は声のトーンも戻り、一人で話している。


一昨日、離れて暮らしている兄が婚約者と共に見舞に行ったらしい。


母は兄の婚約者が持ってきたハーブティーを「どうしたらいいかわからない」とぼやいていた。


兄は母に「まだ孫の顔も見てないのに元気でおらな」と言ったらしい・・・


次に来る時に、いつも同じ部屋の人にみかんなんかをもらっているので


お礼にプリンを4つ買ってくるように言われる。


後、顔剃りをしたいので、カミソリを持ってきて欲しいと言われたが


病院に刃物を持ち込むのは流石に無理だろう。


今日も母は3階の病棟から1階まで見送ってくれた。



2日後、言われたようにプリンを持って面会に行く。


心なしか母が小ギレイに見える。


聞いてみたところ、その日の午前中に、病院から歩いて5分程の美容院


に一人で歩いて行き、カットと顔剃り、そして毛染めまでしてもらったという。


私は驚いてしまった。


母の入院の予定は1ヶ月である。今日で半分が過ぎた。


母に「完全に治るように、後1ヶ月入院伸ばす?」と聞いた所、「絶対イヤ」と明確に否定した。


今日も母は、1階まで見送ってくれた。



2日後の29日、仕事納めを終えてから、病院に向かった。


母は今日も元気そうである。母によると一昨日美容院に行ったのをきっかけに


ここ2日、病院から500メートル程の所まで散歩に言っているという。


さらに、「元気になってきたからじっと寝とけと言われるのが苦痛」だと言う。


そして、驚くべき事に、「退屈やから週刊誌でも持って来て」とまで言う。


見ためも以前の様に心なしか顔がふっくらとしてきた。


驚くべき回復である。


帰宅後、私は母が非常に懇意にしている近所のおばちゃん2人に母の状態を報告に行った。


2人とも「よかったな~~」と言ってくれた。


入院させたのは正解だった。私は心から思った。









この火曜日、いつものように仕事後、病院に母の面会に行った。


行くと、母の親友である、以前書いたのとは別の「近所のおばちゃん」がお見舞いに来ていてくれた。


母は、そのおばちゃんと話しながら食事をしていたのだが、驚いた事に声のトーンが完全に


元気な頃と同じだった。病気をしてからというもの、母は、それこそ「蚊の鳴くような声」で話していた。


一昨日、父が来たときもそうだった。しかし今日は以前のように笑いながら話している。


よっぽど嬉しかったのだろう。


帰りの車の中でおばちゃんに話しを聞くと、相変わらず家の事を心配していると言う。


おばちゃんは「自分の事だけ考えとき」と言ったそうである。当にその通りだ。


少しづつだが、回復に向かいつつある。


昨日は面会に行く予定だったが、寒波で道が凍結していたので行けなかった。


心配していたらいけないので病院に電話する。


声は元気だが、相変わらず眠れないと言っていた。


明日は、母が待ちに待っている、離れて暮らしている兄が面会に行く予定だ。


私と父は明後日行くつもりである。


母は少しは元気になっているだろうか?


母自身は正月に一時帰宅を望んでいる様だが、正直私は難しいと思う。

最後に更新してから10日余り本当に色々な事があった。


まず2週前の金曜日、帰宅するなり父が私に部屋に入って来た


そして、目を少々潤ませながら「ママ遺書みたいなん書いてるわ・・・」


と言った。私は「またか・・・」と思い愕然とした。


しばらくしてから、母を部屋に呼び、1時間ほど諭した。


母は笑いながら、「大丈夫やから」と言った。


しかし、この翌朝から、月曜の早朝までの3日間、母は4時過ぎには起き、また窓際に佇んでいた。


月曜日は通院日だった。診察の際私は主治医に思いきって母が再度書いた「遺書」を見せた・・・


この「遺書」については、この間のショックが強烈過ぎたので、私は見れなかった。


この「遺書」を見た後。主治医は母に「入院しましょう」と静かに告げた。


母は突然の宣告だったので、戸惑いは隠せないようで、執拗に入院を拒んだ。


しかし、主治医の「入院できないなら、息子さんに1日中見てもらうしかありませんね」


との発言で、しぶしぶながら入院を了承した。


主治医は早い方がいいので「出来れば今日中に」と言われたが、準備があるので翌日にしてもらった。


私は会社に電話をかけその日は休ませてもらう事にした。


帰宅したが、母はまだ納得していないようである・・・


とりあえず、処方してもらった頓服の安定剤を飲ませ母を寝かせる。


昼から、母が「姉」と慕っている近所のおばちゃんに電話をかけ入院が決まった事を告げる。


するとおばちゃんはすぐに来てくれた。


私はおばちゃんに母を見てもらうように頼み、入院に必要なものの買出しと、銀行にお金を下ろしに行った。


1時間ほどして家に戻ると、驚くべき光景が私の目に飛び込んできた。


母が食事をしていたのだ。私が留守の間におばちゃんが雑炊を作ってくれ、それを食べていた。


夜も母はふつうに食事をした。正直驚いた。目に生気も戻っている。


それでも、まだ母は入院に納得が行っていなかったようだった。


「また帰ってこれるのか?」が不安だそうだ。


私は母に「そんなもん、箱(棺)に入れて返すために入院さす訳ないやん」


「大体、孫の顔も見せんうちに死なれてたまるか」


「な、40年近く働きづめやってんから、旅行でも行って来るつもりで休養して、元気になって帰って来て」


と言い。最後に


「俺も去年そうやったからわかるけど、ホンマこの1ヶ月辛かったやろうに、生きててくれてありがとうな」


と言った。その後母は号泣した・・・


翌日、父と共に自宅から時間ほどの病院に母を連れていった。


待合室にいると目がうつろな人がウロウロしている・・・


ここがどういう場所なのか嫌でも思い知らされる・・・


程なく診察が始まり、母の1ヶ月の入院が決定した。


入院に先立ち、入院する病棟と病室を見せてもらった。


窓には鉄格子がある、と言ったイメージとは程遠く


病棟も病室もまるで、ホテルの様だった。


しかし、案内に人が、母の入る病棟にある「閉鎖病当」との言葉に過剰に反応し


父に「家に帰りたい」と言ったらしい。(母が入院したのは一般病棟の4人部屋)


しかし、ここまで来た以上、私と父は母を病院に残し帰宅した。


母が入院した病院は幸い、私に会社から車で30分ほどの所にある。


私は、翌日早速面会に出かけた。


入院初日、母はため息が出続けたらしい・・・


そのため、同じ病棟の人が心配して眠剤を出してもらいなんとか眠ったらしい。


私が言った時間は丁度、夕食の時間だった。


食事は、母は歯の治療中のため、硬いものが余り食べられない。


すると、すぐにおかゆとまるで離乳食のようにやわらかいものに変えてくれたらしい。


この辺は流石に病院である。


母は「食べれない」と言いつつも、私の前で出された食事を全て平らげた。


二日後の金曜日面会に行くと、母は相変わらず眠れない様である。


しかし、「早く良くなりたい」と呪文のようにつぶやいていた。


自宅療養している時は、こんな言葉は聞かれなかった。


少しは生きる意欲を取り戻してくれたのだろう。


少し安心した。


自分で洗濯もしたらしい。


昨日は、父と共に面会に行った。


病棟の入り口で母は笑顔で私達を迎えてくれた。


相変わらず眠れないらしい。しかし、今日は少しだが外で散歩したらしい。


一昨日と同じく、「早く治りたい」と言い、それに加えて「正月帰りたい」と言っていた。


私達が帰る際、母は1階のエレベータホールまで私達を送ってくれた。(母の病室は3階)


少しずつだが、確実に良くなりつつある。私は確信した。


入院さしたのは正解だったと思う。

今週も母は不安定である。


日曜日は、久々に父が休みで家にいたためか、またパニック状態に陥っていた。


また、用事もないのに窓の側に行っている。気が気でない。


また、寝付けないようだ、うわ言が聞こえている。


月曜日、今日は通院日だった。


薬は変更なし、後1,2週間後にはトレドミンを増量するらしい。


火曜日、病気の影響だろうか母がずっとひとり言を言っている・・・・


水曜日、今日も余り調子は良くない様だ。


また、夕食の用意をしながらパニックに陥っている・・・


なぜ、無理をするのだろうか・・・


はっきり言って、悪循環だ・・・


こんな事で本当に治るのだろうか、不安になる・・・


母の友人に「無理するなと言っても言うことを聞いてくれない」と愚痴ったら


「これまで(母が)無理しなアカン状態を作って来た、あんたらに問題がある。」


と言われた、ぐうの音も出なかった・・・



 この火曜日、遂に私が壊れてしまった・・・


仕事でのストレスで、軽いうつ状態に入ってしまった。


母が盛んに心配している・・・・俺がしっかりせなアカンのに・・・・


母が突然、「マンションの権利書の場所教えとくわ」と言い出した。


先週「遺書」を書く前に、銀行関係の話をしようとしていた事を思い出し、


私は母に「またアホな事考えてるっちゃうやろな!!」と声を荒げてしまった・・・


母、笑いながら「そんな事ないから」と言ったが・・・私は気が気でなかった。


翌日、起きると、私の気分は前日よりは幾分よかった。


水曜日は父の給料日だった。


母がうつになった一番の原因は、我が家の「経済問題」である。


母は、家計をしばらく私に預けると言うので、預かる事にする。


木曜日、夕食の用意をしている際、また母はパニック状態に陥る。


なぜ、無理をするのだろうか?


ちょっと良くなったかと思えば、無理をして悪化させるの繰り返しである。


この際「入院」させて、この環境から母を完全に離したほうがいいのではと考える。


金曜日、今日は少々落ち着いている。


昼間は、歯医者に行ったらしい。


夕食の片付けを終え、母は眠りについたが、またうなされている・・・







今日は母の週一回の通院日だった。


先週の「遺書」の件を主治医に話すと、「入院も考えなければならない」と言われる。


しかし、母自身は主治医の「自殺しないと約束してくれますね」との問いかけに


「はい、大丈夫です。」と力強く答えたので、少し安心した。


今日の診察では、寝つきが悪いと母が言ったので、睡眠薬が「レンドルミン」から「アモバン」に変更された。


抗うつ剤に関しては「トレドミン」のままで量も同じ。


私が考えていた安定剤は、今の状態では「必要ない」との事。


主治医によると、少しずつだが回復はしているとの事。


焦らず、気長に頑張ろうと思う。


夜夕食後、母は処方された「アモバン」をなかなか飲もうとしないので、飲むように言って聞かせる。


今日は、うわ言は言っていないので、良く眠れているようだ。


このまま安定してくれればいいのだが・・・