最後に更新してから10日余り本当に色々な事があった。
まず2週前の金曜日、帰宅するなり父が私に部屋に入って来た
そして、目を少々潤ませながら「ママ遺書みたいなん書いてるわ・・・」
と言った。私は「またか・・・」と思い愕然とした。
しばらくしてから、母を部屋に呼び、1時間ほど諭した。
母は笑いながら、「大丈夫やから」と言った。
しかし、この翌朝から、月曜の早朝までの3日間、母は4時過ぎには起き、また窓際に佇んでいた。
月曜日は通院日だった。診察の際私は主治医に思いきって母が再度書いた「遺書」を見せた・・・
この「遺書」については、この間のショックが強烈過ぎたので、私は見れなかった。
この「遺書」を見た後。主治医は母に「入院しましょう」と静かに告げた。
母は突然の宣告だったので、戸惑いは隠せないようで、執拗に入院を拒んだ。
しかし、主治医の「入院できないなら、息子さんに1日中見てもらうしかありませんね」
との発言で、しぶしぶながら入院を了承した。
主治医は早い方がいいので「出来れば今日中に」と言われたが、準備があるので翌日にしてもらった。
私は会社に電話をかけその日は休ませてもらう事にした。
帰宅したが、母はまだ納得していないようである・・・
とりあえず、処方してもらった頓服の安定剤を飲ませ母を寝かせる。
昼から、母が「姉」と慕っている近所のおばちゃんに電話をかけ入院が決まった事を告げる。
するとおばちゃんはすぐに来てくれた。
私はおばちゃんに母を見てもらうように頼み、入院に必要なものの買出しと、銀行にお金を下ろしに行った。
1時間ほどして家に戻ると、驚くべき光景が私の目に飛び込んできた。
母が食事をしていたのだ。私が留守の間におばちゃんが雑炊を作ってくれ、それを食べていた。
夜も母はふつうに食事をした。正直驚いた。目に生気も戻っている。
それでも、まだ母は入院に納得が行っていなかったようだった。
「また帰ってこれるのか?」が不安だそうだ。
私は母に「そんなもん、箱(棺)に入れて返すために入院さす訳ないやん」
「大体、孫の顔も見せんうちに死なれてたまるか」
「な、40年近く働きづめやってんから、旅行でも行って来るつもりで休養して、元気になって帰って来て」
と言い。最後に
「俺も去年そうやったからわかるけど、ホンマこの1ヶ月辛かったやろうに、生きててくれてありがとうな」
と言った。その後母は号泣した・・・
翌日、父と共に自宅から時間ほどの病院に母を連れていった。
待合室にいると目がうつろな人がウロウロしている・・・
ここがどういう場所なのか嫌でも思い知らされる・・・
程なく診察が始まり、母の1ヶ月の入院が決定した。
入院に先立ち、入院する病棟と病室を見せてもらった。
窓には鉄格子がある、と言ったイメージとは程遠く
病棟も病室もまるで、ホテルの様だった。
しかし、案内に人が、母の入る病棟にある「閉鎖病当」との言葉に過剰に反応し
父に「家に帰りたい」と言ったらしい。(母が入院したのは一般病棟の4人部屋)
しかし、ここまで来た以上、私と父は母を病院に残し帰宅した。
母が入院した病院は幸い、私に会社から車で30分ほどの所にある。
私は、翌日早速面会に出かけた。
入院初日、母はため息が出続けたらしい・・・
そのため、同じ病棟の人が心配して眠剤を出してもらいなんとか眠ったらしい。
私が言った時間は丁度、夕食の時間だった。
食事は、母は歯の治療中のため、硬いものが余り食べられない。
すると、すぐにおかゆとまるで離乳食のようにやわらかいものに変えてくれたらしい。
この辺は流石に病院である。
母は「食べれない」と言いつつも、私の前で出された食事を全て平らげた。
二日後の金曜日面会に行くと、母は相変わらず眠れない様である。
しかし、「早く良くなりたい」と呪文のようにつぶやいていた。
自宅療養している時は、こんな言葉は聞かれなかった。
少しは生きる意欲を取り戻してくれたのだろう。
少し安心した。
自分で洗濯もしたらしい。
昨日は、父と共に面会に行った。
病棟の入り口で母は笑顔で私達を迎えてくれた。
相変わらず眠れないらしい。しかし、今日は少しだが外で散歩したらしい。
一昨日と同じく、「早く治りたい」と言い、それに加えて「正月帰りたい」と言っていた。
私達が帰る際、母は1階のエレベータホールまで私達を送ってくれた。(母の病室は3階)
少しずつだが、確実に良くなりつつある。私は確信した。
入院さしたのは正解だったと思う。