思えば母はこの夏の終わり頃からおかしかった。
いつもは、夕食が終わるとテレビを見ているか、マンションの上の階のオバちゃんの所に遊びに行っていたの
に、夏の終わり頃から、9時頃には床につくようになっていた。考えてみれば母も、もう60歳、
「もう年やから仕方ないんかな」程度にしか思っていなかった。
むしろ、心配していたのは以前はふっくらしていた母の顔がげっそり頬がこける程痩せたことだった。
もしや、「ガン」ではないかと思い、本人には「病院に行きや」とだけは言っていた。
しかし、11月に入って事態は急変した。
日曜日の昼の事、「目がおかしいので眼科に行きたい」と母が言った。
私は、ネットで休日診療している眼科を見つけた、そこは自宅から地下鉄で5駅ほどの所だったので
母に地図を示し、自分で行くように促した。しかし母は立ち尽くしたまま動こうとしない。
しばらくして母が「どないしたらいいかわからへん」と言い、続けて
「もう母さんをどっかにつれて行って」
言った、私はその一言で全てを悟った。そして愕然とした
「天真爛漫」を絵に描いたような人だった母がうつにかかるなんて・・・
翌日、本人を説得してこの9月まで私が1年間掛かっていた心療内科に連れて行った。
診察結果はやはりうつだった。
その後、母の兄弟や、近所の母の友人達に聞いたところ、1ヶ月前くらいから
「自分の人生は何やったんやろ」などといい、おかしかったらしい。
一緒に暮らしていながら、一番そばにいながら、ましてやかつて同じ病気にかかっていた私が
母が「うつ」である事を気づいてやれなかったことが、情けないし、申しわけなっかった。
母が発症した原因はわかっている、我が家の経済事情である。
父は60歳を超えた現在も働いているが、収入は以前の半分以下である。
なのに、生活水準は以前変わっていない。破綻して当然である。
コレは、最近知った事なのだが母は自分の貴金属類を「質」に入れてまでカネを捻出していた。
これまで、我が家の家計は、足りない分を母が私の貯金を使い一時的に補い、父の給料で返し
また、月末になると私から借りるという「自転車操業」で維持して来た。
しかし、昨年私がうつ病を患い失業した際に、母が私の貯金を全て使い込んだため
私は激怒し、母にはこの春から一銭も貸す事はなかった。(無論生活費は入れている)
また、この件で母に対して激しく叱責した。
この事も母をうつ病に向かわせるきっかけになったのだと思う。
今は、母を追い詰めてしまった責任を私は深く痛感している。
投薬治療を初めて2週間強、母は状態は一進一退である。
昨日、母は久々にテレビを見、食事をしていた。またいつになく饒舌だった。
久々に発症前のいつもの「母」に戻っていた。
母は笑いながら、私に一枚の紙を見せたそれは「遺書」だった・・・
この日曜日、母は私に盛んに、銀行の振込み先などを教えようとしていた。
いやな予感がしていたのだが、その「遺書」を見た瞬間、予感が的中したと思った。
母によると、月、火と何度となく自宅(7階)から飛び降りようと思っていたそうだ。
母がメモ用紙に、鉛筆で書いた「遺書」には「父と兄と幸せになって下さい」と書かれていた。
しかし、もし母がこの「遺書」を残して本当に自殺していたら、私は絶対に幸せにはなれない!!
なぜ、それがわかってくれないのだろうか・・・
昨日の「母」を見ていて、正直複雑だった。自分の経験上、いくら薬が効いて来たと言っても
こんなに早く直るわけがないし、それ以上にいわゆる、「ゆり戻し」が心配だった。
私は、母が嫌がるので通院に付き添う以外は仕事に行っている。
父も仕事に行っているので日中、母は一人で家にいる。正直心配である。
現に今日は、一日中昨日見た「遺書」の内容が頭から離れなかった。
当の母はと言えば、案の定「ゆり戻し」が来たようで今日は夕飯が作れなかった。
今は眠っているが、良く眠れていない様で悲鳴にも似た、うわ言を言っている。
明日はどうなるのだろうか・・・
しかし、本当に少しづつだが回復には向かっている。
正直、私もキツイが一番辛いのは言うまでもなく母である。
まだまだ、時間は掛かると思うが、治癒まで頑張る!!