2006年8月28日 月曜日 | 禁煙猿

2006年8月28日 月曜日

俺はタバコが大好きであるとともにこれから大嫌いになるのである。密封密室タクシーで、灰皿満杯に茶色く変色した吸殻が放つ、すえたむうっとする 匂いや、これはなぜか自分が吸っていないときに限るが、他人が吸ったタバコの紫煙が風に乗ってくると、心臓の血管がきゅっとまるで音でも立てるかのように 縮みあがり胸が苦しくなる。医学的にはニコチンによる心血管の一過性れん縮に伴う胸部苦悶感という。簡単に言えば一過性の狭心症みたいなものである。
そういや最近調べた心電図もなんだかおかしかったし、最近咳がとまらない。おまけに、気管の奥のほうで痰が絡んでいるようで、塊が上下するばかりでちっとも排出されない。気管の自浄作用も劣化しているのだろうか。
例えばこんな按配。
「ごほっごほっごほっげほっ、があああ。んがんが。ううんっ。んっんっ。かああ、ぺえっ」
ああ、きたねえ。
というわけで、俺はタバコを止めることにした。いわゆる禁煙である。
マーク・トゥエインは『禁煙なんて簡単だ。私は今まで何十回もやっている』とのたまっていたが、これはいい得て妙である。
俺は睡眠薬を飲まないと眠れない。だから、朝はぜんぜん目が覚めないし、午前中、半分はぼーっとしている。タバコはいわば気付け薬みたいなものな のだ。おまけに強度のカフェイン中毒者でもあるから、ニコチンとカフェインの相乗効果で脳がやっと目を覚ますといった具合である。
タバコが止められないというと、意志薄弱だとか、自己管理がどうだとか、時間の無駄だとか、金の無駄だとか、くさい、とかまあいろいろといわれ るわけで、実際問題いいことなんて、まあほとんどないとも言える。あえていいことをあげるとすれば、「ああ俺は今休息しているのだ」という実感だろう。こ れだって、呼吸するようにタバコを吸っていてはこの気分さえ味わえないのだ。幸いなことに、今は世間が煩い。分煙が徹底化しつつある。歩きタバコなんぞ論 外である。凶器を持って出歩いているかとのごとく見られるご時勢なのである。したがって、わざわざタバコを吸うために外出し、燐粉をまきちらしながら蛍光 灯にあつまる蛾のごとく、皆でぷかぷかやっているわけだ。ああなんかわびしいのう、妻よ、とか、かあちゃん、腹減ったよ、とか、電気が途絶えてしまって暗 闇で「どなどなどおなあどおなああ」とおもわず歌ってしまう侘しさなのである。ああ、はかなきや、この世也。
結局のところ、薬物中毒なのである。脳がきっちり快楽として学習してしまい、報酬経路ができてしまっているのだ。うそだと思うのなら、きちんと調べてみるといい。これ、ほんとだから。
だとすれば、代替物を摂取すればそれでいいではないか、と思うのだが、これはこれでなかなかうまくいかない場合が多い。
「煙草を吸う」という動作、状況も快楽パターンとして認知学習されていること、また、吸うという行為、つまり吸入というのは、薬物摂取する場合には非常に有効的かつ効果的な投与方法だからである。
早い話、パッチ(経皮膚投与)、ガム(経粘膜)よりも吸入したほうが、薬物の吸収が圧倒的に早い。これより早いのは静脈内投与(要するに注射)く らいのものだ。(話がずれるが、ニトログリセリンの舌下錠などは粘膜?血管に吸収されてすばやく効く。投与方法だけではなく、薬物の性質や形状も本来は考 えなければならない。)
薬物中毒治療の基本、その一。中毒している薬物を摂取しないこと。これにつきる。John Lennon の歌に”Cold Turkey”という曲がある。これは食い物がまずいことでは有名な英国で、とりわけまずいといわれている『冷たい七面鳥』のあまりのまずさを嘆いたキリ スト教徒の歌ではもちろんなくて、いわゆる薬切れのことである。荒療治ではあるが、このコールド・ターキーをやるのが一番である。マイルス・デイヴィス は、馬小屋にこもってヘロインを止めたそうだ。
薬物中毒治療の基本、その二。中毒化している薬物を別の形態(タバコではなくガムにするとか)で投与、または似たような物質を投与して脳をだまくらかす。麻薬中毒患者に合成麻薬類似物質を与えるみたいに。
禁煙とかたばこがどうのとかではなくて、薬物中毒だと認識すれば、結構これはすさまじい行為だと思うではないか。
などと書いているうちに猛烈にニコチンが切れてきた。ああ、もうこのまま、口から肺に管を入れ、脊髄に滅菌ホースでも突っ込み、生理食塩水かエ ヴィアンかなにかで、ばしばしじゃぶじゃぶ肺や脳を洗い流して、残留ニコチンも脳内レセプターもなにもかもきれいさっぱり洗い流してもらいたい。それとも キース・リチャードみたいに透析して全身の血を入れ替えるか?あの話は冗談らしいが。
おそらく残留ニコチンと、タバコを吸うという行為の残留記憶が消え去ったときに俺はたぶんどこかへ(どこへ)解放されるのだ。ああ、I shall be released.

そもそも政府公認で売られている麻薬なんてものは、きゃつらに都合がいいものなのである。ダウナー系だとみんなハッピーかもしれないが、国民は金 を稼ぐとか競争するとかそういうアッパーな努力をしない、それは国家としてとても困る。故に禁止。かといってあまりにも元気が出すぎるやつは、精神、肉体 への影響が大きすぎて、しゃれにならない。故に禁止。残るは、アルコールやニコチンといったじわじわと体も心も殺していく麻薬(ハードドラッグ)が残るわ けだ。ある程度以上まで進むとすでに意思によって制御できない状態にまで達してしまう。静かなる自殺と呼ばれる由縁である。ひどい話だ、まったく。
治療用薬剤を悪用して中毒になっているのと違い、政府公認で売られている麻薬であることが問題の論点である。はは、論点だって。まあ、どっちも似たようなものであるが。
いまでこそ、パッケージにやんわりと警告がかかれているが、外国並みに管をつながれてベッドに縛り付けられたりしてる写真だとか、癌の切除標本、はたまた髑髏マークをつけたり、ましてや放射能マークをつけたりはしない。
「いちおうね、世知辛い世の中だし、お上が煩いんですわ。なんでやんわりと書いておきましたけど、ほんまのことなんていわせしまへんのや。よろしゅうおば。ほなさいなら」といわんばかりの警告文。ああ、しゃらくさい。
もっと早く教えてくれよ。そうすりゃこんなもん手ださなかったのに、と思う祭りの後。