2023年に還暦を迎えた昭和レトロガールとみぃのブログを見つけて
お立ち寄りくださった「あなた」!!
さすがです御目が高い👏
ありがとうございます。
新卒で地方銀行に就職し
紆余曲折あり(そう、誰しもある・・)
2年間の銀行員生活。
FM局のアシスタントを経て
結婚
キャリアウーマンを目指す者としては、
結婚したくらいで仕事を辞めることはない。
結婚後の派遣時代・・転職活動を語っちゃいます♪
銀行の専用システムしか知らず、
ワープロ専用機(T芝社製の)「Rupo」を愛用し、
複写の書類でない限りは、相棒の「Rupo」を銀行に持ち込んで
自筆の字を書く機会を極力減らしてきたとみぃ。
N社にお世話になった当時、
表計算ソフト「ロータス1-2-3」や
ワープロソフト「一太郎」の存在を始めて知ったほど
世の中を知らなかった・・
労働力を提供すべき派遣先で、
ワープロソフトの基礎を業務の中で教わる・・
今考えると・・・
「派遣」って、それじゃダメじゃん!なのですが・・
当時は「ヨシ」とされていました。若くて美しかったからかな・・💣
根がまじめなとみぃ。
あまりの自身の無知さゆえに、
N社の皆様のお手を煩わせることに、ほとほと嫌気がさし、
キャリアウーマンを目指す者が、
パソコンを操れないとは・・・と、
派遣会社の研修という研修に参加しまくって、
学びました。
ブラインドタッチ
表計算ソフト
ワープロソフト
当時お世話になっていた派遣会社は・・・
もう、記憶の彼方で、覚えていませんが・・
営業の方が、
冒頭で書いたような状況のとみぃに
「とみぃさんに、ぴったりの職場、お仕事なんですよ!!」と
ぶっ飛んだ営業トークをかましてきたのを、今でも覚えています。
とみぃの心の中は・・
「いや、派遣で働くの初めてだし、
一般企業が、そもそも初めてなんだから、
とみぃにピッタリかどうかなんて・・
どこでご判断なさったの(◎_◎;)???」って!!
でも、ぴったりだったかどうかは・・さておき・・
とみぃにとっては、
願ってもない環境で、お仕事をさせていただきました。感謝です。
N社での派遣は、秋口から2月の末くらいまで・・ほんの半年ほどだったと。
N社で学んだことは、
・会社の仕組み
・お金の流れ
・人の動き
・ソフトウェアや、FAX、コピー機(当時は複合機は無かった)
・社内政治(?)主に、女子社員間の政治・・・うふふ。
女子には女子のルールがあった。
・社内で必要な伝票の、(国内・海外)出張手配時の旅行社との下ネゴ
おそらく、会社員として必要な基本的な事務手続きは理解できたと思います。
ここでの経験をもって、「とらばーゆする!!(懐かしい言い回し👍)」と決意し、
めぼしい企業に電話したり、履歴書(もちろん・・手書き)を郵送したりするのが
基本的な活動でしたね。
インターネットもない時代。
一部の「オタク」様は、Niftyの掲示板上で繋がって
ネット上での人間関係を構築されていた時代。
当時のネットは、電話回線を使っていました。
とみぃもご多分に漏れず、
女性用の転職情報誌「とらばーゆ」でみつけた
正社員を募集しているめぼしい企業に履歴書を送り続けていました。
業界とか、こだわりはなかったけれど、
今でいうIT企業への応募が多かったと思います。
N社でSE本部の方に教えていただいたPCスキルを過信していて
(銀行の専用システムしか使ったことのなかったとみぃには)
もう、「鬼に金棒」くらいの武器を得た気持ちになっていたんです!
なんてかわいい・・単純な・・。
最終的に合格をいただいたのが、
「ロータス1-2-3」のロータスと
「MS-DOS」のマイクロソフトの2社でした。(いずれも日本法人)
外資系を望んでいたわけではなく、たまたま・・米国系の日本法人でした。
で、どっちにするか迷ったのですが、
最終面接の際の人事部長さんが同郷だった繋がりで
マイクロソフトを選択したのでした。
さすがに外資系なので、
「英語」はできますか?と聞かれましたが、
当時は、TOEIC450点程度。
電話の取次ぎくらいなら何とか・・という感じでお伝えした面接。
その後、電話の取次ぎ程度では、太刀打ちできなくなるところまで
追い込まれるのですが、
そこはまた、いつかお話しますね。
そうそう、不思議なことに、
何社も面接を受ける中で、
出産したら退職しますか??とか・・・聞かれるのかと思いきや・・
まったく聞かれた記憶がないんですよね・・・。
大学の時の就職活動では100%聞かれてたのに
当時、IT系のベンチャー・・要は外資ばかりだったかも・・
面接が多かったからなのか・・な。
そうだ・・最終的にロータスをあきらめた理由を思い出しました・・・
人事部長さんとの最終面接の際に、
人事部長さんの後ろにあった窓から、
墓地が見えていたから・・・。
※この頃は、ZOOMでの面接とかではないので、
リアルにオフィスにお伺いして、オフィスの会議室での面接。
ビルの裏手にお墓があったのが、
もう、気になって気になって・・・というとんでもない理由でした。
そんなこんなではありましたが、
マイクロソフトの人事部長さん(同郷)が、
働きたい部署を選ばせてくださった
銀行での武勇伝やFMでの経歴も含めて
とみぃのことを「面白い!!!」と評価してくださった(?)
こともあって、とみぃは、
1989年3月19日(忘れないなぁ・・この日)
とみぃはマイクロソフト(日本法人に入社したのでした)
こうして、とみぃは、怒涛のIT業界発展の渦の中に巻き込まれていったのです。
今日は、ここまで。
暖かい目でお読みくださる皆様、いつもありがとうございます。
また、お立ち寄りいただけると、と~ってもうれしいです。