では、どのようにすれば、彼らが行うコントロールから脱して、日本と世界を守っていくことができるのでしょうか。
正義のカケラもない東京裁判において、石原寛治は「なぜ戦争を行ったのか?」と問われて、「理由を知りたければペリーを呼んで来い」と主張しました。
この言葉をまるで裏付けるかのように、1945年9月2日、日本がアメリカとの全面降伏の調印式が、東京を見下すかのように、軍艦ミズーリ号の上で行われましたが、その時に使われた星条旗は、あえてペリー来航時のものを使用するという、アメリカらしい演出が行われたのです。 当時のニューヨーク・タイムズ紙も、「我々はペリー以来の願望を達成した。もはや太平洋に邪魔者はいない」と書いたほどです。
そしてこの日本降伏の調印をする際、当時の閣僚たちは屈辱的な汚名を遺したくはないために、皆が降伏文書に署名することを嫌がりました。「署名するくらいならば自決する」と、そう述べた人さえいました。
そうした中で、重光葵(まもる)外務大臣が署名することになりました。
そして重光大臣は、降伏調印世紀の当時の心境を、次のように読んでおります。
神国の 栄え行くなる一里塚 ならぬ堪忍する日の来りぬ
願わくば、御国の末の栄え行き 我名さげすむ人の多きを
重光大臣にしても他の人々と同様に、屈辱的な任務は行いたくはありません。しかしいつかの将来、日本人の手によって今一度、日本が元通り主権国家になって、そして栄えるために捨て石が必要ならば、いっそのこと自分がその捨て石になろう、彼はそのように詠んだわけです。
我々はこの重光葵外務大臣の期待に応えるべく、日本をアメリカの降伏状態から脱しさせて、日本を主権を持った独立国家にするべきです。
そしてそのためには、財務省やマスコミに騙されるこなく、まずは「インフレ政策」を行って、このデフレ不況の中にある日本を立ち直らせるべきです。
そしてアイスランドやハンガリーがすでに成し遂げたように、日本も借金奴隷制度をやめて、紙幣発行権を政府に取り戻すべきです。そして政府の借金をコントロール内において、重税と増税と新税を、もういい加減やめ、国民の暮らしを豊かにするべきなのです。
そしてさらには、メタンハイドレードなどの新エネルギーの開発、STAP細胞等の開発にも取り組むべきです。
そして松下幸之助さんが述べられたように、「無税国家」こそを日本は目指していくべきなのです。
それこそ〝新しい国造り〟であり、それを行うことことそが、重光葵(まもる)の無念を晴らしていくと、私は思うのです。