当時の日本の連合艦隊司令官・山本五十六(やまもといそろく)氏は、精神論だけでは物量で勝るアメリカに勝てるはずもないので、戦争には反対していましたが、しかし「やるならば短期決戦しかなく、最初に奇襲攻撃を仕掛けて、アメリカの太平洋艦隊を壊滅させてしまう必要がある」と主張していました。
そして確かに1941年12月8日、日本は太平洋艦隊を叩くために、当時はまだアメリカの一つの植民地でしかなかったハワイの真珠湾を奇襲攻撃しました。
しかも日本は、アメリカに対して宣戦布告を行う予定であったのですが、アメリカにある日本大使館の職員たちが、前日に行われた職員同士の歓送迎会のせいで、アメリカ政府に宣戦布告することが遅れてしまったのです。
そのために確かに「真珠湾攻撃」は、歴史に残っているように、「宣戦布告の無き奇襲攻撃」でした。こうしたことから日本人は、あれ以来、世界から「卑怯者」の烙印を押されることになってしまったのです。
しかし実は一秒でも、一分でも、攻撃の前に宣戦布告していれば、たとえ奇襲攻撃でも国際法律上、何ら問題はありませんでした。しかも織田信長の『桶狭間の合戦』や、源義経の『鵯(ひよどり)越(ごえ)の坂落とし』にもあるように、戦争という最も悲惨な行為の中では、実は奇襲攻撃など当たり前であり、特に劣勢である戦争においてはよく行われております。
しかもアメリカは、いつ日本が真珠湾を奇襲攻撃するか、盗聴と傍受によって、事前に知っていました。しかしルーズベルト大統領は、どちらが侵略者で、どちらが悪者で、そしてどちらに正義であるのか、それをわざわざアメリカ国民や世界に思い知らせるために、あえてハワイにいるアメリカ軍に知らせなかったのです。
あの当時、ビルマという国は、イギリスから植民地支配されていて、軍隊も外交も財政の権限さえも、一切認められていませんでした。まさしく彼らは、白人たちから搾取されていたわけです。
そこでビルマのウー・ソオ首相は、イギリスのチャーチル首相に、「イギリスのために、私たちはビルマ人を兵として戦場に送るから、その代わりに戦争が終わったら、ビルマの独立を認めてほしい」と頼みました。しかし人種差別意識の強かったチャーチル首相は、論議をすることもなく、ウー・ソオ首相を追い返しました。
次にウー・ソオ首相は、一筋の希望を持って、アメリカに渡りました。ルーズベルト大統領に会うためです。しかしやはりルーズベルトも、ウー・ソオと会うことすらせず、彼は三週間も待って、やがて帰ることになりました。
イギリス首相にも、アメリカ大統領にも相手にされなかったウー・ソオ首相は、自分たち東洋人が、白人たちと戦って勝てるわけもなく、独立の希望がまったく見えない失意の中で、偶然ハワイに立ち寄りました。
そしてある朝、彼は轟音(ごうおん)に目を覚まして窓の外を見ました。そこには日の丸をつけた無数の戦闘機が舞い、黒煙の立ち上る真珠湾に、そして米軍基地に襲いかかっていたのです。
ウー・ソオ首相は、自分が真珠湾で目撃したものが、しばらくは信じられなかったといいます。なぜなら、それまで「劣っている」と考えられていた同じ肌の色をした人々が、白人たちの〝英知(えいち)の象徴〟とされていた飛行機を自由に操って、しかも自分たちを常日頃から苦しめ続ける白人たちを叩きのめしていたからです。
彼からすれば、おびえて逃げ惑う白人たちの光景など初めて見るものであり、それはまったく予想していない光景であり、もしかしたらその光景は痛快に見えたかもしれません。
そして彼は、「ビルマが白人たちの支配から独立を果たすためには、日本を頼るしかない」と考え、日本大使館を訪れて、その想いを伝えたそうです。
しかし日本政府内のやりとりの大半は、実はすでにアメリカのFBIに盗聴・傍受されていたために、彼はイギリス政府に逮捕・投獄されてしまいます。
1941年の12月8日は、イギリス領であったマレーシアにも、日本は戦闘を仕掛けていました。
そしてイギリスの当時のイギリス首相・チャーチルは、「日本を撃退するために、空母一隻を派遣するべきではなないか?」という軍のアドバイスを受けてこう言ったそうです。
日本人のような劣った人種は、戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウェールズを派遣しておけば、簡単に抑止できる。
しかし戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウェールズは、「劣っている」とみなされていたその日本人によって、わずか二時間で沈みました。チャーチル首相は、その知らせを受けて、のちにこう述べたそうです。「私は一人きりであることが幸いだった。戦争の全期間を通じて、私はこれ以上の衝撃を受けたことがなかった」と。
インドのラグ・クリシュナン元大統領は、このイギリス戦艦が二時間で沈んだ事件について、次のように述べています。
インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは、想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって『東洋人でもやれる』という気持ちが起きた。
ルーズベルト大統領は、「リメンバー パールハーバー」と演説しましたが、しかしタイのククリット・プラモード元首相は、こう書いています。
日本のおかげで、アジア諸国は独立を果たした。
日本という母は、難産して母体を損ないましたが、しかし生まれた子どもたちは、すくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話しができるのは、一体誰のおかげであるか。それは身を殺して、仁を成した、日本という母がいたからである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して、重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。
このようにタイの元首相が述べてくださったように、かつての日本人は国家をあげて愛の心で戦い、そして己の身を殺して仁を成したのです。
ですからシオニストにコントロールされるアメリカ国民にとっても、「リメンバー パールハーバー」という言葉は意味深いでしょうが、しかし彼らの陰謀と真実の歴史を知った時、「リメンバー パールハーバー」という言葉の意味は真逆になるのです。