鬱病にかかった私は、どういう人間なのか?ということを
あなたに知っていただくために、
できるだけポイントとなる私の人となりを書きます。

私は、三人男兄弟の長男として生まれました。
幼少の頃から、自分の世界に入って、あれこれと想像にふける子供でした。
私の記憶では、すでに3歳くらいの頃から、
「この世界は怖い、何か不安を感じる」ということを
漠然とイメージしていました。

幼稚園の頃は、いつも一人で部屋の隅っこに座って
友達たちが遊んでいるのを眺めていました。
自分では、友達と遊んでいる様子が面白く感じなかったからです。
ただ、粘土を触って、色々と物を作るのは好きでした。

小・中学校時代は、けっこう社交的になっていました。
かけっこ(足が速い)が得意だったので、一目置かれている部分もありました。
しかし、人の言うことには「ノー!」と言えない子供で、
他人の言動を、いつも受け入れていました。

なので、小・中学校のある時期(合計3年間)は、やんちゃな友達にいじめられていました。
プロレスの技を掛けられたり、無理な、侮辱的な命令を受け入れさせられたりといういじめです。
私は、このとき、とても暗い表情をしていたのが、写真に残っています。
家の便所で、悔し涙をよく流していました。
(後に30年後に、そのいじめっ子たちに再会し、当時のことを問い詰めたら、
「いじめるという感覚はなかった。」と言われました。これがいじめ問題が無くならない実情なのだと感じました。
なにせ、いじめっ子本人には、いじめているという感覚がないのですから。)

高校に入ると、私は「強くなりたい」という想いから、ラグビー部に入部しました。
ラグビー部に入って変化したことは、「身体」と「協調性」です。
身体は鍛えられ、それまでの「ひ弱」な感じでは無くなりました。
また、集団スポーツの性質や、上限関係も厳しかったのもあり、
協調性というものも身に付いたと思います。
ただし、後に痛感したことですが、どんなに肉体や世渡り術を身に付けても、
幼少時代から持っている性格はあまり変わっていないのだな、ということです。
これが、後の仕事を行うにあたっての、他人の誤解を生むことにもなりました。

高校卒業後は、大学に進学し、工学を学びました。
機械に興味があるというより、数学や物理の世界が好きでした。
そして、世の中は「就職氷河期」真っ最中だったので、
そのまま大学院に進みました。
学生の間に打ち込んだことといえば、ラグビー、ギター、アルバイト、読書です。
とくにギターと読書は好きでした。やはり自分の世界に入れるものが好きだったようです。

以上、就職直前までの私のプロフィールです。

現在は、妻と子供2人と一緒に暮らしています。
ここまでの間、つまり、就職してから、現在までの間に、
鬱病(または軽いうつ状態)に何度かかかっています。
その軌跡を次から書いていきます。