22歳、という若さで亡くなった息子。


主人の両親は健在。

義理父は田舎町から出てきた人だ。

義理父は次男にあたる。

義理父によれば、田舎町にあるお墓を今後だれがどう墓守りしていくのかも、決まっていないらしい。




亡くなった息子は

幼い頃から鉱石好きで、

鉱石図鑑を読み漁り、

鉱石収集をしていた時期があった。


息子小3のクリスマス。

白血病の治療のため入院中だった。

クリスマス当日は

抗がん剤治療のタイミングもあり、

自宅には戻れなかった。

息子はサンタクロースを信じていた、

と思われる。

息子は真剣に質問してきた。

サンタクロースは病院にも来るの?

病院には目印のクリスマスツリーがないよ。

どうやってここにいるってわかるの?

プレゼントを届ける場所わからないと

プレゼントもらえらないの?

ドギマギしながらごまかしていたわたし。

今となっては、とてもなつかしい記憶。


結局、

サンタクロースが自宅のクリスマスツリーにプレゼントを届けてくれた設定で、翌日、わたしが病室でプレゼントを息子に手渡した。

さまざまな鉱石の詰め合わせをプレゼントした。

(何の石だったか、覚えていない。)

息子はゴツゴツした石たちを

病室のオーバーテーブルに並べて

石を見ては図鑑を見合わせていたことは、

よく覚えている。





墓石は、

家族の大切な思い出のある土地のものにした。


2回続けて白血病になり、骨髄移植をしたのち寛解して退院。その年の夏休みに出かけた真鶴町。ステロイドによる大腿骨骨頭壊死をおこす前の時期で、トーマス装具も付けていないし、足の痛みとは無縁で、自分の足で歩き、走り、しゃがみ、飛び跳ねていた、ふつうの生活を満喫していた。三ツ石で、もう1人の息子と一緒に岩場にしゃがみこみ、カニやら魚やら楽しそうに探していた姿がいまも蘇る。


そのとてもとても愛おしい思い出のある真鶴町の石を、墓石にすることにした。

日本史好きのもう1人の息子へのエールも込めた。





先日、父方のお墓参りに出かけた。


260年前の石が今も墓石としてそこにある。

墓石の角は丸みを帯び、石全体が長年の雨風によってゴツゴツしている。光沢はなく、彫られた文字もギリギリ解読できるか出来ないかだ。


260年もの間、父方の祖先は、それぞれ、さまざまな思いを込め、この墓石を守ってきたのだろう。



息子が亡くなってから、

いろいろ考えてきた。


生きていたその人を覚えている人の存在や、

その人を思い出してくれる人の存在。

忘れられる、さみしさ。

わたしが覚えていよう、という、誓い。

思い出してくれたら、という、願い。



墓石には思いが詰まっている。

しっかり向き合う人生にしたい。