息子がいなくなって4か月が経った。




主人は安定剤を飲んでいる。


息子の死を目の当たりにした影響か。

その後の仕事のストレスか。

わたしが自分のことで精一杯だからか。


安定剤を飲み始めてからは、

口調も表情も柔らかくなった。

険が抜けた。

夜も眠れているようだ。




先日、

わたしの母が、わたしに息子の話をした。

亡くなる直前の思い出話だった。

わたしの何かの扉が開いた。

次々に蘇る。

部屋にいる姿。

喋り方。

笑い方。

見たがっていた映画のこと。

悔しがる姿。

亡くなった瞬間のこと。


苦しみ悶える姿、

葛藤する姿、

甘える姿、

力が抜ける瞬間、

最期。

苦しい。


考えるのをやめる。

他のことを考える。

わざと何か視界に入れ考えをすり替える。

何か動作を始め思考をすり替える。

苦しさから抜ける。

でも、意識を他に向けることをやめるとすぐ、

息子の最期の記憶で頭が埋まる。

忘れないでいたい。

忘れたくない。

でも、

苦しい。


最期の息子の記憶に触れると、

どうにもならない。

蓋をしようとする。

でも、最期の記憶が繰り返す。

蓋をして心に落ちるまで

数日かかる。




でも、



食事時、

わたしはもう1人の息子とおしゃべりをする。


最近になり、ようやく、

息子たちが仲良く夕飯時によく見ていたテレビ番組を流しながら食事が出来るようになった。

息子が亡くなってからは、その番組を避けていた。

見ることが出来なかった。

この頃は、いままでのように見られる。

今までのように笑える。



息子が亡くなったことを、

人に話す機会も避けなくなってきた。


それまで、

息子のことを聞かれるような人には会わないようにしていた。

聞かれたとしても、元気です、なんて返事をしてしまうことすらあった。

意を決して息子の話をして、知らなかった、ごめんなさい、と口をつぐまれ謝られて、この人には話すんじゃなかったかな、なんて思ったりもした。


でも、

この頃は、

家族以外の誰かと会う機会をもとうとする気持ちが出てきた。



主人と息子も、

そうだといいなと思う。


何かの風向きが変わって、

それを感じて、

一息ついて、

少し歩いてみるか、

みたいな感じ。


ずっと苦しいわけじゃない、ってこと。

自分で風向きを変えられないときも、

風向きは変わる。