息子が亡くなって2か月が過ぎた。


わたしは今まで通り、仕事をしている。仕事をすることに負担は感じていない。


休日になると、息子はいまどこにいるのだろう、とか、わたしはあと30年も生きなきゃか、とか、もう1人の息子はひとりで大丈夫かな、とか、いくら考えても答えの見つからないことばかりが頭を埋め尽くす。


ふつうに生活していて、目にしたものから急に息子との記憶が蘇り、苦しくなることがある。そんなときは苦しくなりすぎる前に、思い出すのをやめている。






昨日、もう1人の息子が猫を撫でながら、「おまえは、なんで喋れないんだ?ひとの言葉、喋ればいいのにな。つまんないやつだな」と言っていた。




彼らは仲のいい兄弟だった。夕飯時は、ずっとおしゃべりしていた。互いを思いやりながら、互いを頼りにしていたと思う。そんな2人の他愛のない会話を離れたところで聞いているのが、わたしは大好きだった。





困っちゃうよね。

ほんとに。






我が家には猫が2匹いる。保護猫の兄弟だ。猫たちを迎える計画中、息子の肺転移がわかった。感染面から計画を中止にしようか迷った。でも、11年間一緒に暮らした大型犬が亡くなって数ヶ月で、動物と暮らすことがわたし達の助けとなることもよく知っていた。猫たちを迎えた。今春のことだった。


息子が余命宣告を受け、自宅で死ぬことを希望したたあとも、しばらくわたしは仕事を続けていた。


仕事を休もうかと提案するわたしに息子は、「なんで?自分のこと自分で出来るし、ひとりが気楽なんだけど」「おれ、死ぬ前に、みんなで旅行しようとか、みんなに会いましょう、とか嫌だからね。望んでない。そういうの。」「葬式に友達呼ぶのとかもやめてよ」。そう、言っていた。決して投げやりな気持ちではない。そのときは、余命宣告を受けたなんてウソのようにふつうに暮らせた3か月だった。



息子は、趣味のPCゲームや動画編集、読書等、家で過ごす時間を満たしていたと思う。PCに関する知識はかなりものだったと思う。高校1年のときに、ひとり秋葉原に行き、自分好みのPCを組んで来た。パーツからだ。わたしの全く知らない世界。理系大学出身の主人も感心していた。



体の自由が利けば、旅行が趣味だったかもしれない。ひとりで過ごすことを好む性格だった。


最初の骨軟部腫瘍の手術で、松葉杖生活となってからあまり外には出かけなく、出かけにくくなっていた。「まったく困るよ。ひとりでいるのが好きな人間なのに、人の手を借りなきゃいけなくなるんだから。まぁ、しゃーないな」と、息子は笑っていた。自分の置かれた状況を怒り、嘆き、当たり散らすことは1度もなかった。 



家で過ごしていた息子は、猫との距離もすぐに縮んだ。猫たちは決まって息子の部屋にいた。息子はよく猫たちの写真を撮っていた。「かわいい、かわいい」とよく言っていた。 





日向ぼっこしている猫をみて、ふと思った。

そうか。猫が喋れたら、息子のこと聞けたのか。