仏壇の開眼供養法要を終えた。

自宅にご本尊さまがいると思うと、少し緊張する。


仏壇での拝み方を調べたり、仏教のことを調べたり。少しずつ知識が増えるのが楽しい。


法要に来てくださったお坊さんは女性だった。しとやかで気さくで、あたたかな方だった。女性僧侶に出会ったのは初めて。どんな経緯で出家されたのかとても気になった。もちろん、聞けなかった。






今日は、息子の骨髄移植の時のことを書こうと思う。12年前のことだ。忘れたくない、大切な出来事。



息子は小3で急性骨髄性白血病になった。数か月間の化学療法で寛解となったが、すぐに再発。急性リンパ性白血病になった。もともと混合型白血病だったのか、治療の影響でなのかはわからないと言われた。



2011年、息子は骨髄移植をした。3.11、あの未曾有の大地震の時、息子とわたしは無菌室にいた。ドナーの方から骨髄液をもらう日を数日後に控え、すでに数回大量の放射線を浴びていた。後戻りできない状況だった。



あの時、ガソリンの供給も滞っていた。ガソリンスタンドはいつ来るかわからないタンクローリーを待ち、長蛇の列が出来ていた。余震もすごかった。緊急地震速報が数日に渡り繰り返し鳴り、余震と思えないほどの大きな地震が頻回に起きていた。あまりに余震が続くため、自分自身が常に揺れているような錯覚が起こるほどだった。



あの時、ドナーの方は、病院まで片道分のガソリンしかない車を大学生の息子に運転させ、帰りのことは自分で何とかしろ、と伝え、とにかく病院に、という思いで、骨髄提供に来てくれた。



そのことを知ったのは、移植後にやり取りした手紙でだった。



人の優しさをこれほど強く感じたことはなかった。



あの大地震の最中、自分の家族を置いて、自分は見ず知らずの息子のために自宅を離れる。わたしなら、どうしただろう。あの大震災、家族と離れる選択ができただろうか。




ドナーの方には感謝の気持ちでいっぱいだった。



街中で見かける見知らぬ人に、もしかしたらドナーの方かもしれない、ドナーのご家族かもしれない、という思いが生まれ、街を歩いているだけで涙があふれて来たことを、今でもよく覚えている。




息子は骨髄移植をしてからの10年間、GVHD悪化でのステロイドパルス療法による大腿骨骨頭壊死はあったが、入院生活のない、ふつうの、学生時代を過ごした。



ドナーの方のおかげである。






そして今。

わたしは、当時のドナーの方と同じ年齢になった。






誰かのために時間を使える自分でいたいと思っている。