もう少しで、息子の四十九日法要だ。



今日は仏壇が届いた。

仏壇は大安に届けるものらしい。お祝い事になるようだ。開眼供養も控えているが、その際のお布施も赤の水引きの袋に入れるという。息子が亡くなってから、知らないことがいっぱいの世界を経験している。



それまで、主人の家系がどの宗派なのか知らずにいた。お墓も仏壇も宗派と繋がる。特別、信心深いわけではない。でも、その宗派のことを調べたり聞いたりすると親近感が湧いた。宗教にすがりたい気持ちはないが、よりどころにはなるように思う。しきたりに従うことにも素直になれる。昔の人たちもこんな気持ちで家族の死を受け入れていたのかなと想像する。



父親はわたしが29歳の時に亡くなった。53歳だった。父の死後しばらくは、自分がいつも膜のようなものに覆われているような、他者との間に隔たりを感じるような時間を過ごした。似た年齢の人を見かけては、なぜあの人は生きていて父がいないのか、と考えた。



息子は違う。わたしを覆う膜はない。同じくらいの年齢の人たちを見ても何も感じない。日常の些細な出来事で、息子との会話を思い出す。でも、そのまま思い出すことを続けることはしない。泣く前に思い出すのをやめる。感情に蓋をすることが健全なのかはわからない。我慢とは違う。いまは、そう過ごしている。





仕事に戻って3週間。今まで同様忙しい。職場で家族のことを考えることは殆どない。息子が小さい頃からそうだった。いまはこの忙しさに救われているように思う。





結局、息子は、余命宣告を受けて亡くなるまで1度も泣くことはなかった。死ぬ間際にも泣き言すらなかった。こんなに早くに死ぬとは思っていなかったのか。死に抗う気持ちに蓋をしたのか。やっと死ねる、というのがやはり本心だったのか。残されるものを気にかけ泣かなかったのか。

死ぬその日も、投げやりになることもなく、穏やかだった。



息子が小3で白血病になった時、遠くに住む義理の父母は、息子がかわいそうだと泣いた。泣く2人を見てわたしは自分の感情に蓋をした。そして、泣きたいのはこっちだ、あなたたちが泣くのはやめてくれ、治る気でいるのに息子の前で泣くなんてやめてくれ、そう思った。泣いてくれた、とは思えなかった。



時に、泣くことは、すがること、になる。

自分がすがるために泣くことはしたくない、そう考えるわたしがいる。



わたしは、息子の前で泣かなかった。わたしが泣くことで息子が感情を出せなくなるのはいやだと思っていた。わたしが息子の死にとらわれ、泣くことで、いままでの息子の人生を否定してしまうような気もしていた。




息子は一緒に泣きたかっただろうか。





どう思っていたのだろう。