18日朝、息子は息を引き取りました。


15日外来で胸水を抜いてもらい帰宅。調子が良さそうだった。でも、呼吸が荒く夜あまり眠れない。


16日呼吸が荒くて、まとまった時間寝ることが出来なくて疲れてきていた。


17日呼吸が荒くて眠れない。本人と相談して、持続皮下注射を入れてもらうことにした。少しでも眠れる時間が確保できれば、という思いで。


お昼頃、訪問看護師がきて、持続皮下注射を挿入。そのときも、息子は呼吸が荒くて車椅子にいた。横になったほうが入れやすいけど、無理そうなら、車椅子のままでも、とのことで、挿入してもらった。

オキシコンチンを持続皮下注射しながら、レスキューという形で15分おきにプッシュできる設定だった。入れてもらってすぐ、薬の効果を感じたようで、少しラクになった、と言っていた。


訪問看護師からは、レスキューが効かなければ、オキノームをプラスして内服、それでも効かなければ、ロラゼパムを内服の、指示となった。


持続皮下注射が留置されたので、その日の夜は眠れる、はずだった。


夜、やっぱり眠れない。

うとうとするが、眠れない。

数日寝ていないせいか、呼吸状態の悪化があったのか、せん妄のような状態が始まった。


最初は、うとうとして目を覚まして、あれ?おれ何してんだっけ?、と、状況が繋がらないようだった。


そのうち、

「おれ頭おかしくなってきた、おれ、おかしい、おかしいよね?!頭おかしい」と繰り返す。

明らかに、葛藤している。

でも、会話は成立していた。

そして、眠れず、ベットに横になっては座りたい、と端座位になる、を繰り返す。


夕方、訪問看護師に連絡。せん妄なのか、何かわからないが、言動がおかしいと伝える。

指示通り、レスキュー→オキノーム→ロラゼパムで様子をみて、せん妄には否定的言動を言わないよう、言われる。


言動がどんどんおかしくなった。


わたしが誰れかわからなくなることもあった。

ベットに横になるよう促すと、なぜ横にならないと行けないと、怒る。

かと思えば、おれ、おかしいよね、と自分に戻る。

おかしくなる自分がわかり、「手握って、安心する」「ごめん、おれおかしい」「ごめん、でも手握ってると安心する」「ごめんおれおかしい」「名前呼んで、あーうれしい」「名前呼ばれるのうれしい」

自分がおかしくなっていくことと一緒懸命闘っていた。わたしはずっと手を握る。声をかける。息子と手を繋ぐなんていつ以来だったろう。


少し寝ては「暑い!!」と怒りながらおきて、興奮。水やジュースを飲みながら、うとうとして、また寝るが、また起きる、の繰り返し。


夜、もっとおかしくなって、

正当なことを言い聞かせようとする主人に、息子は怒り出す。興奮してしまう。


訪問看護師に相談するが、

せん妄状態になってからでは、ほかの薬が効きにくい、とのことで、様子を見るよう言われる。


夜中、やはり、おかしい言動は続いた。

わたしがわからず医者だと思って、

「幸せってなんだと思う?」

「(病気が)治らなかったことをどう思ってる?」怒った口調ではなく、穏やかだった。

だれに話してるつもりだったんだろう。

恨んでたのかな、

いや、でも、そういう口調ではなかった、

諭すような、

本当に穏やかな話し方だった



かと思えば、自分に戻り、

「家族は、◯◯と、◯◯と、◯◯とだ」と納得したように、確認しているように言う。大丈夫、おれはわかってる、という感じで、微笑みながら、家族の名前を呼んだ。



「将来なにになればいいと思う?」とも言ってきた。

弁護士とかいいねー(息子は法学部だった)、あー、でも、17時に仕事終わって、あとは趣味に時間使う生活もいいかもねー、とわたしが答えると、苦しくてせん妄でおかしいのに、「ははは」と笑った。優しい笑顔だった。



「働きたかったなー」とも言っていた。

同級生たちは、大学院や就職。

何も言わなかったけど、おれは、なんで、と思いがあったろうと思う



眠りは浅い。寝ては、「あーー!あつい!」と起きる。部屋は、かなり冷房がきいていたのに。暑い、と怒る。とても暑がっていた。


うとうとしては、怒りながら、起きて、おかしなことを言い、うとうとして、起きる、の繰り返しだった。


夜中、訪問看護師が、

せん妄で困っているなら薬を出せると病院が言っている、と連絡をくれた。

薬を取りに行った。


薬を飲むまでに少し時間がかかった。

「なんで、それを飲ませようとするわけ?」

「なんの薬?」と、怒る。薬を無理やり飲ませられる感覚になっていた。

しばらく、話をすると、

「寝るのか。じゃあ飲もう」と応じて内服。


しばらくして、入眠した。


2時間くらいして、急に起きた。

何かに怒っている。

「わからない?!」と怒る。

話が通じない。

おしっこなのかと、ポータブルを近づけると、「もーいい、どうでもいい!」何か怒りながら、すっと自分で立位をとり排尿。


ベットに戻り再入眠。


朝方、急にむくっと起きたと思ったら、そこからは、「うーーーーあーーーーー」「うーーーーー」 「あーーーーー」もがき苦しみ言葉になっていない。会話も全く通じない。端座位保持もできず、体がぐらんぐらん揺れる。それを必死に支えた。とにかく、もがき、苦しみ、うめき声をあげ続けた。


助けて、と泣きながら、訪問看護師に連絡した


家中に息子のもがく声が響く。

息子の体がぐらんぐらんして、定まらない。

踏ん張りがまるできかないようだった。

机を息子の前に置いて、もたれかかるようにした。


息子が息をしなくなった。

うめき声がやみ、動きが止まった。

呼んでも反応しない。

睫毛反射もなし。

ステートで呼吸音はなかった。

橈骨動脈も触れない。

頚動脈も触れない。


どのくらいだったろう

20分とかかな、

訪問看護師が、到着、

医師に連絡、


医者到着、

死亡確認。




そうやって、息子は死んで行った。


安らかに、とは程遠い、最期だった。



直後、


病院ならもっと上手く鎮静がかけられたはずだ、

家でわたしが看るのは、無理だったんだ、

簡単に、いいよ、大丈夫、家で死ねるよ、なんて息子に言ってた、

わたしバカだな、

わたしのせいだ、

訪看や病院、なんで、もっと、手を打ってくれなかったの、

なんで、あんな最期なの、


それ以外思えなかった。




でも、

息子が死んだ日の夜、

うとうと寝たときに、夢に、息子が、出てきた

息子は、自分の足で階段を駆け上っていた。


松葉杖はなし、

階段を駆け上っていた、

自分の足で、

背中を向けて駆け上がっていった、


この夢のあと、

気持ちが少し、切り替わった




昨日は葬儀だった。

家族葬。

息子は、コロナ禍の抗がん剤治療だったから、わがやは、親戚の集まりにこの3年顔を出していなかった

久しぶりに会う親兄弟。

息子の意思もあり、いままでのことを話さずにいたことを詫びた。みんな優しかった。

他愛のない話もした。

心がほぐれるのがわかった。




いまは、しょうがないんだ、と思っている。