広兼邸、2013年10月19日(5)。(ステレオ写真付き) | いつかどこかの空

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いつかどこかで撮った空や風景……
あんまりリアルタイムじゃないです。

 ようやく吹屋地区の紹介も最後にできそう。
 ステレオ写真も数枚入れておきました。前回はウェブでの表示を600pxに設定していましたが、今回は500pxに設定したので、立体視が得意でない人も少しは見やすくなっていると思います。
 とはいっても、このブログに載せている写真はほとんど横幅800pxでアップロードしていますので、もっと大きく見たい場合には「拡大する」をクリックすると大きめに表示することができます。
(余談。アメーバブログの場合、横幅の大きな写真をアップロードしてもすべて800pxに縮小されてしまいます。横長のパノラマ写真を大きなサイズで見てもらいたいときにこの制限がすごく不満です。)

 笹畝坑道を出てさらに山の中へ。自動車のすれ違いも難しいような道をくねくねと走っていくと、山裾に巨大な石垣が見えてきます。見た目はほとんどお城なんですが(というか生半可な城よりもむしろ大きい)、これが「広兼邸」、豪商で庄屋だった広兼氏のお屋敷だったところです。
01-広兼邸全景

 (もらったパンフレットによれば)この石垣と邸宅は、銅山とローハ(ベンガラの原料)製造で巨利を得た広兼氏が1810年(文化7年)に建築したということで、およそ200年前の建物。
 という話を聞いてハタと疑問に思ったのは、「こんなお城のような屋敷の建築を、よく江戸幕府が許可したものだ」ということ。大名が城を修理するにしても幕府の許可を得なければいけない時代。武士と百姓・町人の身分制度も厳しかった時代なので、普通に考えたら「石垣を築くなどまかりならぬ!」となりそうなもの。建築が許可された理由として考えられるのは、おそらく「お金」でしょうね。
02-広兼邸

 ところで、この広兼邸が世に知られている最も大きな要素は「映画『八つ墓村』のロケ地だった」という点。
 横溝正史原作のこの作品は、Wikipediaによれば映画化3回、テレビドラマ化6回という超人気作品で、そのうち1977年に野村芳太郎監督によって映画化された際に広兼邸でロケが行われたようです。
 一応自分もDVDを持っているので、今回この記事を書くにあたりおおまかに確認したところ、例えば前半の方でこんなシーンがあります(主人公が初めて多治見邸を訪れたシーン)。自分が見に行ったときもこの外観はまったく変わっていませんでした。
シーン
 ただ室内シーンを見た感じだと、自分が見学したときの印象とはまったくちがうので(構造や形状がかなり違う)、おそらく室内シーンは広兼邸ではなく撮影所のセットで撮影したものと思われます。

 入口付近をステレオ写真にしてみました。
03-広兼邸入口(ステレオ写真)

 上と同じ写真の楼門付近を拡大してステレオ写真にしました。門の向こうに母屋や庭木が確認できます。ちなみに楼門の上層部は不寝番部屋になっています。
04-広兼邸入口(ステレオ写真)

05-広兼邸入口(ステレオ写真)

 楼門から外を眺めてみました。
 広兼氏がなぜわざわざ山の斜面に屋敷を建てたんだろう?と思ってしまいますが(平地が全くない土地、というわけでもない)、やっぱり権力者として「見下ろす」ことをしたかったのだろうと。
06-広兼邸楼門より外

 ここから先は、建物内部の紹介を中心にしたいと思います。現地でいただいたパンフの平面図を下に載せましたので、参照して下さい。
30-広兼邸平面図

 楼門を左に曲がり進んだところにある長屋の、手前が「下男部屋」、奥が「番頭部屋」。特に番頭部屋は床の間もついていて、いいところに住めたんだな、と思います。
07-番頭部屋・下男部屋

 ただ、長屋をさらに奥に進むとあるのが「下女部屋」。窓が小さく、右隣は厩(馬小屋)です。さすがに厳しい環境。
08-下女部屋

 これが長屋。見えている入口は、手前から下女部屋・厩・種こんにゃく保存室・農作業場です。
09-厩等

 視線を反対に向けると母屋があります。母屋の南端(写真に写っている側)には精米場等があります。
10-精米場等

 精米場とはいっても母屋の一部なので、屋根飾りなどは豪華です。
11-屋根飾り

 精米場内部。米をつく臼があります。
12-精米場内部

 精米場の左側にある水くみ場。水神様が祀ってあります。
13-水くみ場

 水くみ場の横を通って母屋の裏側へ。母屋のすぐ近くまで裏山(というか岩)が迫っているのがわかります。
14-裏手

 さらに進むと、向こうに見えるのは味噌蔵。
15-味噌蔵

 母屋の裏側には調理場がありました。
16-調理場

 母屋の表側へ。これは庭です。
17-庭

 母屋の玄関。江戸時代はこうした玄関は特別な人だけが出入りできる場所でした。
 ちなみに広兼邸は部屋内部へは入れないので、おもに外から中をのぞき込む感じになります。
18-玄関

 玄関右側の客間。
19-客間

 客間の右側へ回りました。手前から客間・玄関・店の間。その奥の暗いところが台所。
20-客間・玄関・店の間

 少し引いて、建物外観を撮るとこんな感じ。
22-母屋外観

 客間の裏にある主人居室。上の写真だと客間の右側。
21-主人居室

 離れ座敷を裏側から覗いてみました。離れ座敷は大正時代に当主の結婚式で一度使用しただけだそうです。
23-離れ座敷

 改めて、台所の土間から中に入りました。控えの間や居間のあたり。
24-居間

 台所のかまど。
25-かまど

 これもかまどといっていいのかな。
26-かまど

 居間・寝室・主人居室。
27-居間

 一巡りして、帰路に。入口付近の柿の木。
28-柿の木

 柿の木の下、奥に向かう道は山への道? 柿の木の裏を右手に登る道は、たしか厩につながっていました。
29-石垣の道

ということで、ようやく吹屋の紹介も終了。おつきあいありがとうございました。

余談。
 1977年版『八つ墓村』のエンドロールを確認していたら、その他大勢のキャストの中に吉岡秀隆・風間杜夫・丹古母鬼馬二がクレジットされていました。お三方ともこの当時はまだ有名ではなかったんですね(吉岡さんは当時まだ7歳くらい)。
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