昨夜、ダンナが私のうつについてこんなことを言っていました。


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ダンナ「時々表情がほとんどない時があるでしょ。あぁ病気なんだなぁと思う」


私「全然違うもんね。自分でもわかるよ。今は表情筋が自然と動いて笑ったりできるけど、悪い時って、顔の筋肉が全部弛緩してる感じ」


ダンナ「こないだは、本当にすごいひどい無表情だったよ」


私「あはは、でも最初の頃も無表情だったんじゃない?」


ダンナ「違います。あれは今まで見たことのない無表情だったよ」


私「いつ?包丁出してきた時?」


ダンナ「違うなぁ。もっと最近」


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いつ、どういう時の無表情だったかはわからないけど、とにかく、6年半の闘病生活の中でも見たことのないような無表情ぶりだったらしい。


思えば、うつ病になったばかりのころと、6年半たった今の私は、自分の生き方についての考え方がずいぶんと変わりました。


それについてもダンナと話しました。


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ダンナ「最初の頃は、数か月で治るつもりだったでしょ?」


私「うんうん、それで、研究室に復帰するつもりだったよね。数か月で治ると思ってたから、まだ希望があったというか」


私「それが6年半たって、もうね、働こうとも思ってないし、子供もほしいと思ってないし、ハングリー精神みたいなものもなくなって、淡々と日々を過ごしてる感じ」


私「だから焦りもなくなったんだけど、生への執着心も薄れた気がする。それで、調子が悪くて苦しいとすぐに嫌になって、明日がきませんようにって思っちゃう」


ダンナ「うーん、、、社長とか何かをどんどんやっていくような人は違うかもしれないけど、たいていの人は、学生時代みたいに立場が変わっていく時期が終わったら、あとは日々同じように暮らしていくものなんじゃないかな」


私「そうだね。私は、ずっと『なにくそ精神』で生きてきて、なんか上にいかなきゃって思ってたから、今みたいな日々を無事に淡々と過ごしていく生き方に慣れてないのかもしれないね」


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もともと、何か目標を持ってそれに向かってとにかくがんばる、という思考が強く、常にステップアップすることが当然だと思っていた気がします。


そして、病前はものすごくポジティブで、「私の未来は明るい!」と特に根拠もなく思ってました。


今は、うつがきたら、真っ暗闇になる。


でも考えてみれば、だれもが命の終わりに向かって進んでいて、遠くに見える光の強さが残りの寿命だとしたら、その光が弱くなっていくのは避けられない。


だからたぶん遠くの光だけを頼りにするんじゃなくて、手元の明かりを見て生きたらいいのかなと思いました。


つまり、その日その日の自分を見て生きる。


もしうつで手元の明かりが消えそうになったら、無理に進もうとせず、その場に座ってじっとしてたらいいんじゃないかな。


不安で苦しくなったら、我慢しないで安定剤をのめばいい。


何日その状態でも大丈夫。

安定剤を飲んでじっと、手元の明かりが復活するのを待つだけ。


一生懸命明かりをつけようとしても、無理なんだってことは、この6年半で学びました。


以前は、「まだ~してないのに、しねない」と自分に言い聞かせて、苦しいうつ期を過ごしていましたが、今の私は「将来~したい」という強い欲がなく、なんかもうこんな苦しいならいつお迎えがきてもいいやって思います。


この心境の変化、焦りがなくなって、うつの療養にはいいことなのかな。


ただ苦しいとしにたくなるので、苦しい時は安定剤をしっかりのもうと思いました。


結局そういう闘い方が一番いいのかなって今の私は思います。


将来に強い大きな欲や目標がなくても、日々の小さな欲(たとえば、新しい服がほしいとか、キーボード弾きたいとか)を満たしつつ生きていったらいいのかな。


そういう生き方に自分自身が慣れていったらいいな。