昨日は、午後から歩いて郵便局に行ってみたけど、やっぱりどうも疲れてるような気がして、帰宅後すぐベッドにもぐりました。
頭痛は出なかったんですが、体のあちこちが不快だったり、妙に神経質になってるところが、下降していく前兆のような気がして不安でした
なんとかダンナ帰宅までやり過ごし、義実家に夕飯を食べに行きました。
小太郎の散歩はお休みしました。
そのあと、ちょっとほしいものがあったので、100均と手芸屋さんとスーパーで買いものしてから帰宅しました。
なんだかんだでいろいろできたのですが、やっぱり憂鬱な気分だったので、認知療法の思考記録表を書いたり、ダンナと話し合ったりして、
「うつの波がきて落ちることを恐れすぎてるんじゃないか」
という話になりました。
私にとって、あの重くて苦しいうつ状態は本当に嫌なもので、できれば避けて通りたい。
そのために、活動を控えたり、波立つ気持ちをなんとか沈めようと、細心の注意を払っているつもりです。
でも昨日は、ざわざわと勝手にふきこぼれそうになる不安定な気持ちをおさえるのがすごく大変で、疲れました
ダンナは、
「うつで落ちないように気をつけるのは、活動を控えるくらいでいいんじゃないの?波立つ気分を沈めようとするのはなんか違う気がする」
と言ってました。
なんとなく意味はわかります。
私もうすうす気付いてました・・・
昨日の私は、ふきこぼれそうな状態の鍋を、ぎりぎりふきこぼれないようにずっとそばで見張って、微妙に火の調節をし続けるような感じで、神経質になりすぎて余計に疲れた気がします
だけど、うつで寝込むと苦しいから、そうならないようにコントロールしたい。
ダンナはストレスとか疲れでアトピーがものすごく悪化することがあるのですが、
「アトピーが出てきたら、またあんなにひどくなったらどうしようとか思わないの?もうひどくならないように細心の注意を払おうとか思わないの?」
って聞いてみたら、
「思わないなぁ。ひどくなったら辛いけど、なる時はなるんだし、もしなったら『あー、かゆい!!』って思うだけだな」
というようなお答えでした
そりゃあなる時はなるだろうけど、私だったら「もう二度とあんな状態になりたくない!」と思って、すごく神経質になると思う。
いろいろ話してるうちに、私はうつがこないように「準備万端」にしようと思ってるんだっていうことがわかりました。
でも来る時はくる。
来たときに、
「こんなに気をつけてたのにどうしてくるの><」
って思うんじゃなくて、
「あー、きちゃったなぁ」
って、単純にただそのまま受け入れる必要があるのかもしれません。
思えば、私はなんでも準備万端にしたくなるので、旅行の準備も大変だし、日々の服装も暑さ寒さにちょうどいいものを選ぼうと悩みすぎたりします
ダンナは、全然準備万端にしようと思ってないみたいで、ものの置き忘れはしょっちゅうあるし、寒くなる日に薄着して風邪ひいたりします
準備がいいのは悪いことじゃないけど、コントロールできない部分もあるから、「準備万端」にこだわりすぎると、自分を苦しめるはめになるのかもしれません
何が起こるかわからない未来にそなえての「準備万端」は、無理があるし、疲れる。
それよりも何か起こった時に、悔やんだり、自分を責めたりせず、ありのまま受け入れる気持ちのゆとりが必要なのかもしれません。