昨日友達と会ってから、ずっと頭をめぐってる思いがあるので、コメ返もまだなのに(すいません)書きとめておこうと思います。
彼女は、私のことを高校1年から知ってる10年以上の友達です。
大学は別々だったし、そんな頻繁に会うわけじゃないけど、昨日みたいに突然会ったりして、飾らずにつきあえる大事なお友達です。
仮にAちゃんとします。
うつ病で病院にかかる前、
「私ってだめだ、なんでもっとできないんだろう」
と日々悩んで自分を追い詰めてた頃、Aちゃんに会うと、
「Aちゃんってほんとがんばってるなー仕事も忙しいのに、家事もダンナさんの協力があんまりない(失礼)中がんばってて、しかも楽しそうで、すごいな~」
って思ってました。
いったいどうやって、日々の仕事や家事をこなしてるんだろう。
どうやったらそんなにがんばれるんだろ。
聞いてみたらAちゃんは
「私、そんながんばってないよ。仕事は好きでやってるから楽しいし、家事もそんな苦じゃないし」
というようなことを言ってました。
私はその時、あまりにいろいろなことに悩み過ぎて、自分が研究を好きかどうかもわからなくなってて、楽しいっていう思いもなくなってて、ひたすらAちゃんってすごいな~と思ってました。
でも、昨日Aちゃんが
「あかりちゃんのがんばりは尋常じゃないよ。高校の時いつもあかりちゃんがんばってて、私もがんばらなきゃ~と思ってた」
って言ったんです。
私は確かに勉強はがんばってたけど、その頃それが苦痛だとは思ってなかった。
頑張れば結果が出るし、楽しかった。
そんな自分が好きだったし、満足してた。
「学校の勉強」っていうひとつの価値観の中でがんばるのは、私にとって楽しいことだったんです。
だけど、大学院に入って、結婚したら、がんばる軸が何方向にも伸びて、全部に高校時代みたいに全力でがんばろうと思ったら、どれも中途半端になって、どこまでいっても満足できなくなってました。
ひとから見たら十分がんばってたのかもしれないけど、私自身が満足できないし、だんだん楽しくなくなってしまいました。
「そんなんじゃだめだよ」って日々私を否定してくる先輩の下についてしまったのも運が悪かった。
やっぱり楽しいとかおもしろいとか何かしら達成感を得られることがないと、「自然ながんばり」じゃなくて「無理やりのがんばり」になっちゃって、そんなのはちっともいいことじゃないんだなと思いました。
「あの人すごいがんばってるな~」と思っても、きっとそれは何かしら楽しいとかおもしろいと感じられるからであって、本人にとっては「自然ながんばり」なのかも。
そんで、そういう人を見て、「私もあの人みたいにがんばらなきゃ」って思ってしまって、自分にとっての自然ながんばりじゃないことをし始めると、やっぱり無理がくるのかも。
私が高校の時勉強がんばってたのは、私にとって自然ながんばりだった気がする。
そしてAちゃんが「仕事が楽しい」って言って、私からみたらすごいがんばりだ!と思えたのも、Aちゃんにとっては「自然ながんばり」だったのかなと思いました。
ただそれだけなんだ。
研究も最初はすごく楽しかったし、大学院に入ってよかったと思う。
でも嫌がらせにあったことで、いろんなことが怖くなってしまって、楽しめなくなってしまって、うつ病になった。
病気になってしばらくは、研究の世界に戻りたい、戻らなきゃと思ってたけど、今は全然思ってない。
おうちでゆっくり家事をやって、野菜とか花を育てて、かわいいものを飾ったり、作ったりして、家族との時間を大切にしたい。
うつになったころ、こういう風に思う自分に罪悪感がありました。
なぜか、そうじゃいけないと思い込んでました。
でも、今は堂々とそんな生き方がしたいんだって言える。
働かなくてもいいのは、将来のダンナの収入をあてにしてるからだけど、もうそれで自分を卑下しなりしない。
だって、受かるかどうかわからない医学部をめざして、仕事を辞めて、3年浪人して、6年も学生するダンナをずっと見守ってきたんだし。
そもそもそんな理由をつけなくても、恵まれた環境に感謝して、自分の好きな生き方を堂々としたいと思う。
病気だけど、今の自分、結構好きだな~って思えた。
Aちゃんは今でもすごいなって思う点がいっぱいあるし、尊敬してるけど、そもそも人間が違うのだから、同じことはできないし、する必要もない。
私はうつ病になって疲れやすいし、ちょっと神経質かもしれないけど、それなら休みながら、人よりゆっくり気になることを解決しながら生きていったらいい。
妹は強迫性障害で不潔恐怖だけど、手を洗いながら、コロコロをかけながら、ゆっくり生きていけばいい。
みんな、自分がいいように、自分のペースで生きて、それで楽しいって思えればいいんだ。
そんなことを昨日から考えています。
なんだか妙にポジティブで頭に花が咲いてるかも(笑)