昨日は朝から焦燥感が激しくて、ドキドキ、内臓が全部口から出ちゃう!って感じでした
大事な面接を受ける15分前の緊張状態がずっと続くみたいな感じといえば、わかってもらえるでしょうか・・・
ソラナックスを飲んで横になっても、呼吸は浅くて苦しいし、全然落ち着かないし、何度もダンナに
「落ち着かない!」
って訴えてました
午後からダンナは大学に行ったので、思い切って、お義母さんにうちにきてもらうことにしてみました。
ちょっと緊張・・・というか、「お義母さん、つまらなくないかなー」とか気になってしまいましたが、焦燥感からは解放されました
でも、なかなかダンナが帰ってこれなくて、だんだん話すことも尽きてきたので、近所のカフェにいっしょにいってみたり、洗濯物をいっしょにたたんでみたりしてました
洗濯物をたたんでる間が一番心穏やかに過ごせた気がします
ダンナ帰宅後、車でいっしょに義実家にお義母さんを送っていって、ちょっとお義父さんの顔もみて、帰ってきました。
夜は、月9を見終わるまではよかったのですが、その後、また落ち着かない病になってしまい、苦しかったです
なんか、だんだん義両親の期待に沿えるかどうかが心配になってきたみたいです
期待というか、
「いつでもきて、2階で寝てていからね」
とか
「ふたりが近くにきてくれてほんとにうれしい」
とか、とっても歓迎ムードなのが、だんだん恐ろしくなってきたのです
別に義両親は、「遊びにきなさい」って言いたいわけじゃなくて、「遠慮しなくていいからね」って言ってるだけなんだろうと思います。
でも、何回も言われるうちに
「今日は夕飯たべにいったほうが喜ぶかな」
「行かないとさみしいかな」
とか思えてきて、息苦しくなってきたのかな
自分でも、なんてやっかいなんだろうと思います・・・
きっと歓迎されてない気がしたら、それはそれで
「私、嫌われてるのかな」
って思うだろうし。
せっかく自分のお母さんの期待に沿う生き方から卒業しようと思ったのに、これじゃあ相手が変わっただけになってしまいそう
相手の期待に沿おうとしてしまう性格は、たぶん私が楽に生きるための邪魔になってるんだと思います。
だから、「相手がどうしてほしいか」じゃなくて、「自分がどうしたいか」を最優先に考えるようにしたいなーと思いました。
長年、「相手がどうしてほしいか」を中心に考えて行動してきた気がするので、なかなか思考パターンを変えるのは難しいですが、少しずつ変えていけたらいいなぁと思います。
期待に沿おうとするのはいい面もあるけど、今の私みたいに自分に余力がない場合はやめといたほうがいい気がしました
「お義母さんがご飯いっしょに食べたいかなと思うから、食べに行く」
「お義母さんが喜ぶかなと思って、きてもらう」
そういう考えか方じゃなくて、
「私がお義母さんのおいしいご飯を食べたいから、食べに行く」
「私がさみしいからお義母さんにきてもらう」
そんな風に考えたいです!
主語は常に「私」で!!