私はまさか自分がうつ病になるなんて想像もしませんでした。



小さい頃から、活発な子どもでした。


ちょっと内弁慶だけど、とても明るい子どもでした。



こんなはずじゃなかった。



7年前、まだまだ『うつ』という言葉に偏見があった時代です。


『精神病』は弱い者がなるものだとみんな思ってました。



正直、私もそうでした。



もちろん、母もそうでした。



精神科に行ったら、カウンセリングに行ったら、何かが変わってしまいそうで…

私が私じゃなくなってしまいそうで…


なかなか一歩を踏み出すことが出来ませんでした。



何度も自分を責めました。


どうして、もっと頑張れなかった?

なんでこんなに弱いの?

みんな頑張ってるんだから頑張らなくちゃ。

そんなんだから私の人生は上手く行かなかったんだ。





そうして、行った初めてのカウンセリング。


これが私にとっては、とても苦労しました。



今まで『正解』か『不正解』、全ての物事に対してそのどちらかを決められる生活をしてきました。


だから、私は何を話せば『正解』なのかが分からなかったのです。


今まで自分が好きなことをやったことがなかったので、いざ一人で何か話せと言われても何を話したいのかさえ、分からなかったのです。


さらには、『これを話して怒られたらどうしよう』『これなら話しても良いのかな』…そう思えば思うほど私は何も話せなくなり、始めは大変でした。



しかし、カウンセリングの先生はまだ若い先生だったのですが、私の話しをじっくり聞いてくれて、私は次第に大好きになりました。


先生はどんな話しでも、真剣に聞いてくれました。


カウンセリングまでに通らなければならない人混みは大嫌いだったけど、私は先生に会いに毎週2回、通えるようになりました。




母も違う部屋でカウンセリングを受けるようになったものの、その時の母は誰かに話すことすら意味が無いと思ってるようで、あまり馴染めてはいませんでした。




まさか自分の娘がうつ病になるなんて…。


母は本当にショックだったと思います。



『苦しんでるあんたが可哀想で、辛かった』



『あの時あんたも殺して、私も一緒に死のうかと思った』



そう言った母の気持ちも今なら分かります。



母の白髪はみるみるうちに増えて行きました。




家を出てからというもの、張りつめていた糸が切れたかのように、病気は悪くなる一方でした。



何もしたくない。



本当に『何も』でした。


生きることすら、出来ない。


どうしても、死にたくて、何度もオーバードラッグをしました。


どうしても、死にたくて、


どうしても、最初から人生をやり直したかった。


私の人生は駄目になってしまったから。


どうしても一から綺麗な人生を歩みたかった。




この先何が待っているの?


私には何も手に入れられない。


学校にだって行けない。


働く勇気だってない。


じゃあ、私には何が出来るの?




幸せな家庭が欲しい。


私を愛して欲しい。




そう願えば願うほど、私は何度も飛び降りようとしました。


家を出てすぐに、身体を病名不明のストレス性のかゆみが襲うようになり、悩まされました。


そのせいで、私は電車にも乗っていられなくなりました。




叔母との共同生活で、叔母が良かれと思って私に与えた、『ゴミ捨て』というただそれだけの仕事が私には重荷になってしまい、その度に吐きました。


強制され続けたわたしの身体は、強制されることを極端に嫌う身体になっていました。





母は最初、それでも私にどこかで頑張ることを求めていたように思います。

親なら仕方ないことです。


しかし、私が『頑張らない』のではなく『頑張れなくなった』のに気付いてからは、何も言わなくなりました。


幸い母は昔から『学校なんて行きたくなければ行かなきゃ良いわよ』という人だったので、それに付いては初めから何も言いませんでした。




私の一向に変わらない様子を見て、母は私をカウンセリングへと連れて行ってくれました。




先生に一緒にお茶をしないかと、誘われました。


その時の私は、強迫観念に押され一人では外を歩くことすら出来なくなっていました。


いつどこで父が見てるか分からない…。



そのため、先生との待ち合わせ場所へも母と向かいました。




気が付いてあげられなくてごめんね。




その先生の言葉は嘘ではありませんでした。


でも、私は父を悪者にしたくなかった。


それも私の嘘偽り無い本音でした。


そんな父でも、私にはたった一人の父親だったのです。


だから、誰にも言えなかった。


でも、良いんだ。



私はそう言いました。




私は、楽しかったのです。


そんな生活でも。


産まれた時から、それしか知らない子どもはそれが当たり前だと思います。


私も現に、『殴られること』が『愛情』だとずっと思っていました。


愛されてるから、殴られるんだと思っていました。



これが普通なんだと思っていました。


中学校に入って、みんなと家庭の話しをするうちに、自分の家だけ違うことに気が付きました。





それ以来、先生には会っていません。


先生は高等部への進学も望み、卒業文集に載せる写真を撮りにこないかと誘ってくれましたが、私が頷くことはありませんでした。




15歳になった頃でした。